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長く孤独な影の中に
2008年1月29日『Under the Sun』にコラムとして掲載。



……人類の普遍的「願い」だと私が信じる「平和」とは、実体の無い幻なのであろうか。


或る統計によれば、戦争における死者数は、18世紀が700万人、19世紀が1,940万人、そして「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀が1億780万人だという。

たった100年の間に、この世に生をうけた人間の内、1億人以上が「戦争」によって死んだ。いや、正確には「殺された」のである。1世紀過ぎるごとに、戦死者数が1桁ずつ上がっていくという驚愕せざるを得ない事実を前にすれば、「人類の叡智」などという人間の高慢/傲慢ぶりが如何に空虚極まりないかが解る。


現代の殺戮に於いては、無差別にバラ撒かれる殺傷爆弾の放射能による癌の発症や、戦傷の後遺症、悲惨なる畸形児の誕生、膨大な自然破壊による飢餓、そして少なからず影響をもたらしている地球環境の激変による天災、等を加えれば、其の「犠牲者数」は予測不能である。

20世紀には一国家の総人口にも匹敵する人間が、自然死ではなく、殺し合いによって犬死していった。人間としての「生きる尊厳」を根底から陵辱する国家暴力は最先端の科学技術を真っ先に導入し、大量殺戮兵器の「実験場」として、戦争を「利用」してきた。しかも其の大義名分とは、何ひとつ「進歩」の無い独善的「神/正義/自由」……裏を反せば、根深いレイシズムと歪んだルサンチマンを背景とする、極一部の特権階層が暴利を貪るために拵えた虚栄の前近代的デマゴギーなのである。

常に世紀末の暗流に澱む「終末観」「退廃観」は、人類としての悲観的な未来を暗示するものだが、早くも其の具現化された「イメージ」として我々の脳裏に深く刻まれた“9.11テロ”は、身を震わすほどのリアリティをもって、今現在が「終焉の始まり」に過ぎないことを予感させた。

「怒り」に血走った眼をギラつかせたままに、全人類を巻き込んで自壊の道を突き進むアメリカ合州国は、公然と単独覇権主義を掲げ、独善的「神/正義/自由」によって排他的エゴイズムを擬装し、此の世の地獄絵図を再び塗り変えようとしている。狂った其の大国を静止する力も智慧も無い属国の代表格ニッポンは、先の大戦の罪過を忘却したままに、侵略したアジア諸国の憤怒を煽る一方で、強者/覇権国家に追随し、新たな自国の犠牲者を「歴史」に刻もうと奔走している。同時に、嘗ての狂信的天皇制国家主義の「御真影」の対象は、「天皇」から「星条旗」へとシフトし、腐臭漂うマスメディアと結託した愚劣政府の情報操作/世論操作によって、恰も「平和ボケ」こそ愚の骨頂であると、血塗れの顔で無知なる大衆を嘲笑っているのである。


……果たして、「平和」とは実現不可能な幻なのか。

少なくとも、此の国は偽装された利己的「平和」で満ち溢れている。

従順なるニッポン人は過去にどれほど痛めつけられようが、翌日にはキレイさっぱり忘れ去る「素晴らしい」民族である。低能タレント議員どもが嘘八百を並べればコロリと騙され、カネや命と引き換えとなる一過性的な狂騒/狂乱を提供してやれば狂喜乱舞し、足元の血溜まりには決して気付くことなどない。ブラウン管の向こうで、幾らイラク人が殺されようが、隣家の子どもが親の手によって未来を奪われようが我関せず。己の身が傷つかない限りは、所詮他人事だ。手許の「リモコン」を操作して授受する、腑抜けた芸人や政治屋の馬鹿ヅラと無能ぶりを嗤えば、ひと時は「癒される」のである。

……今ならば、或るニッポン人は云うだろう。
何故、好き好んで此の社会の「悲惨」に向き合わねばならないのか。
仮に他人が殺されようとも、「スピリチュアル」な世界で蘇ることができるではないか。「戦争」や「貧困」という不幸な状況で死んでいった人々は確かに可哀相だが、人間は生まれ変われるのだから、生きているうちに神や仏に祈っていれば「幸福」は訪れる、と。

……さらに、或るニッポン人は云うだろう。
政治家の大先生は、我が愛するふるさとにカネを落としてくれる。例え薄汚い卑しい人間であろうとも、「国民」から強奪したカネを人殺しに使う油に変えようと、ニッポン人よりもアメリカ政府に忠誠を誓う売国奴であろうとも、私の懐にカネを捩じ込んでくれる限りは今の「平和」こそ至上のものなのだ、と。

……別のニッポン人は、こうも付け加えるだろう。
「平和」を願わずとも、私の日常は「平和」なのである。ならば、願う必要もない。何が「平和」で、どういう状況が「平和」でないのか。国家、社会、階層、年代等によって「価値観」は異なる。オマエが押し付ける「価値観」で、オレの思想/言動を歪めること自体が「平和」を脅かすものだ、と。


私は、彼らの足元を視る。
踏み潰されて息も絶え絶えとなった「平和」の残滓を。

日々塗り替えられていく「犠牲者」の数を一人一人数えながら、後ろを振り返る。
其処にいつも認めるのは、争いの無い「平和」な社会の実現を願う長い長い影である。


そして、想う。
……私の信じる「平和」が幻であるものか、と。



Neo-Radicalism : comments(0) : trackbacks(0) : kikyo
「自由」への道 【序】
……重く澱んだ硝煙の彼方、瓦礫と灰と屍の地。
いま此の瞬間にも、「無慈悲」且つ「無意味」な殺戮が繰り広げられているイラク/アフガニスタン。

何故、殺されるのか。何故、殺すのか。

仮に此の刹那的愚問を、大量の返り血によって全身を真っ赤に染め「殺される前に、殺せ」という不条理なる地獄の不文律が命ずるままに、狂気の狭間で辛うじて「生きている」者たちに問うたとしても、彼らは肩を竦めて即座にこう「結論」付けるだけであろう。
……其の問い掛けこそが、「無慈悲」且つ「無意味」であると。


『DAYS JAPAN』掲載 クリス・ホンドロス/在イラク米軍夜間パトロールの惨劇


そして、指し示す。
以下の如く捩じれた虚妄の無残なる形骸を。

「イラク早期撤退はベトナムの混乱招く」米大統領が強調

米ミズーリ州カンザスシティー──ブッシュ米大統領は22日、海外の戦争に従軍した退役軍人の会合で演説し、ベトナム戦争後の混乱を例に挙げながら、イラクからの米軍撤退で予想される代償の大きさを強調し、イラク早期撤退論をけん制した。

ブッシュ大統領は、ベトナム戦争で米軍が撤退したことにより、何百万人もの無実の市民が代償を払わされたと指摘。また、オサマ・ビンラディン容疑者が、米国人はベトナム戦争と同様にイラク政策にも反対して決起するべきだと発言したことを踏まえ、米軍撤退は米国の信頼性を傷つけ、テロリストを勢いづかせると主張した。

ブッシュ大統領はまた、21日のイラクのマリキ首相への不満表明から一転し、「マリキ首相は困難な任務に取り組んでいる好人物だ。首相が続投するかは、ワシントンの政治家らが決めることではない」と、首相支持を強調した。

大統領はさらに、戦時中の日本や韓国やベトナムの共産主義者が、無慈悲な考えで米国人を殺害していたと述べ、アジアでの戦争とテロ対策が「イデオロギーをめぐる戦い」である点で似ているとコメントした。大統領は、戦後の米軍占領を経て自由社会に変貌した日本の前例を指摘し、イラク撤退論も誤りであることが歴史で証明されるだろうと語った。

米政権は、来週予定されている在郷軍事会での大統領演説を前に、イラク政策の進捗報告に関する議論に「より広範な文脈を与える」ことを狙ったとみられる。しかしエドワード・ケネディ米上院議員(民主党)は、ブッシュ大統領の歴史認識に誤りがあると批判。「米国がベトナム戦争で負けたのは、米軍がわれわれが理解していない国で十分な正当性を欠く政府を支持し、身動きが取れなくなったからだ」と指摘した。上院外交委員会のジョー・ビデン委員長(同)も、大統領の政策がベトナム戦争の二の舞を招く方向に進んでいるとの懸念を表明した。 【CNN/AP/REUTERS 2007.8.23】


史上最大の無能大統領ブッシュjr.が「ベトナム戦争の二の舞となる」ことに敢えて言及し、継ぎ接ぎだらけの出鱈目な「根拠」(本人は至って「本気」であろうが)によって「否定」せざるを得ないのは、其の「泥沼化」の様相が酷似してきたことに留まらず、打開に向けた展望さえも既に尽き果て、此のイラク侵略/占領が完全な失敗に終わること、つまりは此の戦争に「勝てない」ことを「自覚/予測」していることに他ならない。

そもそも米国の「テロとの戦い」とは、“我々”に抗う者は全て敵であり、彼らを殲滅しなければ“我々”こそが「与える」ことの出来る「自由」を人類全体で共有することが叶わない、という狂った論理の上に展開されている。よって、暴力的手段を持つ者も持たざる者も「テロリスト」と見做した者と同じ人種/宗教であれば問答無用で排除する特権を有し、人間の生死に関わらず、あらゆる価値/判断基準は「神の使者」である“我々”が決定し、処理することを「宣言」しているに等しい。
「テロリスト」の巣食う周辺で生活する者も「異分子」が一人でも存在すると“我々”が推察すれば、病院であろうと学校であろうと無差別に爆弾を撃ち込むことが許される。
例え、砲弾の巻き添えとなった無辜の子どもたちの屍が幾ら築き上げられようとも、“我々”が解放する「自由」を享受するためには致し方ない犠牲/殉教者なのである。

“我々”は「神を知らない者」たちのために、崇高なる「大義」実現のために、此の生命を懸けて銃口を向けている。現代の世に甦る“我々”伝道師を遮り/刃向かうことは「神」への冒涜と同義であることを心せよ。


……嘗て凄まじいまでの虐殺/陵辱/略奪によって、イスラムの地を血の海に変えたキリスト教の暴力装置「十字軍」は、史上最大の破壊力を具えた覇権国家アメリカの殲滅機械として甦り、現代のドン・キホーテ/ジョージ・ウォーカー・ブッシュの無残なる妄想のままに、血に飢えた「十字軍」として再び其の残虐性を顕にして、未曾有の地獄絵図を今も地上に展開し続けている。

既に「結末」の明らかなイラク占領政策の破綻について、「共産主義=自由主義の敵」という懐古的イデオロギー対立の概念をも墓場から掘り起こし、此の先延々と呪縛され続けるであろうイラク侵略の腐敗した「大義」を欺瞞に満ちた観念論のみによって相対化/虚飾化し、後に「歴史で証明される」戦争責任論の回避を目論むという卑劣さは、メディア・コントロールによる大衆操作によって「国民」諸共崩壊したナチス・ドイツ/天皇制軍国主義ニッポンなどの狂信的国家群、並びに現時点での独裁国家の「象徴」北朝鮮の混迷/狂乱の崩壊過程/末路と何等差異は無く、破滅する其の時まで覇道を突き進む「帝国アメリカ」の末期的症状を露呈するものでしかない。

「世界の警察国家」とは所詮エゴイズム剥き出しの「自警国家」に過ぎないのであり、手前勝手な「自由」「神」「正義」の名のもとに平然と他国を侵犯することも厭わない「無慈悲」且つ「無意味」な暴力の独占が、最終的には自らの体内を蝕み自滅して果てることは、血迷ったブッシュjr.が下記の発言で「例え」に挙げた大日本帝国、ナチス・ドイツ、ソ連等が辿った史実を視れば明らかなのである。

■米大統領演説の日本関連部分(要旨)

ある晴れた朝、何千人もの米国人が奇襲で殺され、世界規模の戦争へと駆り立てられた。その敵は自由を嫌い、米国や西欧諸国への怒りを心に抱き、大量殺人を生み出す自爆攻撃に走った。

アルカイダや9・11テロではない。パールハーバーを攻撃した1940年代の大日本帝国の軍隊の話だ。最終的に米国は勝者となった。極東の戦争とテロとの戦いには多くの差異があるが、核心にはイデオロギーをめぐる争いがある。 日本の軍国主義者、朝鮮やベトナムの共産主義者は、人類のあり方への無慈悲な考えに突き動かされていた。イデオロギーを他者に強いるのを防ごうと立ちはだかった米国民を殺害した。

第2次大戦に着手した時、極東の民主主義国は二つしかなかった。オーストラリアとニュージーランドだ。日本の文化は民主主義とは両立しないと言われた。日本人自身も民主化するとは思っていなかった。 結局、日本の女性は参政権を得た。日本の防衛大臣は女性だ。先月の参院選では女性の当選が過去最高になった。
国家宗教の神道が狂信的すぎ、天皇に根ざしていることから、民主化は成功しないという批判があった。だが、日本は宗教、文化的伝統を保ちつつ、世界最高の自由社会の一つとなった。日本は米国の敵から、最も強力な同盟国に変わった。

我々は中東でも同じことができる。イラクで我々と戦う暴力的なイスラム過激派は、ナチスや大日本帝国や旧ソ連と同じように彼らの大義を確信している。彼らは同じ運命をたどることになる。 民主主義の兵器庫にある最強の武器は、創造主によって人間の心に書き込まれた自由を求める欲求だ。我々の理想に忠実であり続ける限り、我々はイラクとアフガニスタンの過激主義者を打ち負かすだろう。 【朝日新聞 2007.8.24】


妄想の只中で溺れ続けるブッシュJr.が、最近「魅力を感じている」のはヒロシマ/ナガサキへの原爆投下を決定した鬼畜ハリー・S・トルーマン だという。無智無能故に状況判断を誤り続けた同種の殺戮者として、凡庸ブッシュJr.が卑しい「共感」を覚えるに相応しい人物といえよう。

発端の「敵は自由を嫌い、米国や西欧諸国への怒りを心に抱き」という箇所から既に捏造だらけのデマゴギー全開なのだが、侵略された側であるアジア諸国の「怒り」ならともかく、欧米帝国主義国家に出遅れながらも嬉々として植民地政策に乗り出した天皇制軍国主義国家ニッポンが、何故同様にアジアの利権を貪ろうとしたアメリカに対して「怒り」を覚えなければならないのか。「極東」の後進国「大日本帝国」が不遜にも「神の国」を名乗り、身の丈に合わぬ膨張主義によって我が物顔でアジア諸国を食い荒らすのを欧米が「邪魔」したために、急遽「大東亜共栄圏」という虚栄の大義名分を掲げ、卑小なる「仕返し」を計っただけであり、此の程度の脆弱国家に「怒る」資格などあろうはずがない。日米に於ける太平洋戦争とはアジアの覇権を奪い合う醜い「痴話喧嘩」であり、双方とも崇高な「イデオロギー」とは全く無縁の私利私欲剥き出しの「侵略国家」が衝突した結果に過ぎないのであるから。


……「イデオロギーを他者に強いるのを防ごうと立ちはだかった米国」は、己ら自身の「イデオロギーを他者に強いる」ために、日本/朝鮮/ベトナムに於いて無差別殺戮を繰り返したが、属国化したニッポンを唯一の例外として其の目論見は頓挫し続けた。

「日本は宗教、文化的伝統を保ちつつ、世界最高の自由社会の一つとなった」などと、極右/安倍晋三一派や似非右翼/反動が聴いたら泣いて悦ぶ「おべんちゃら」を頂戴しているわけだが、単に過去の栄光を持ち出すことでイラク侵略を「正当化」するという論旨自体が完全に破綻した此の無智蒙昧なる言説を視るかぎり、ブッシュjr.一派には最早煽動工作に掛ける智慧も余力も残っておらず、其の憔悴と焦りがかえって覇道が完全に挫折したことを露呈し、最終的には全ては「暴力をもって制す」という極めて残忍で杜撰な「大義」の傲慢さを浮き彫りとする。

従属国ニッポンの馬鹿政治屋どもが「最も強力な同盟国」というブッシュjr.の「おべんちゃら」を真に受け、人殺しの片棒を担ぐために訳も解らずに「テロとの戦い」など連呼して、其の見事な間抜けぶりで相も変わらず世界中の失笑を買っている現状は薄汚い事この上無い。だが、地獄の門前で「正義」「自由」を叫びつつ、他国自国を問わず人間を殺し続けるブッシュjr.一派の「狂気」に追随するうちに矮小なる小心者どもは恐れ慄き、地獄へ堕ちる一歩手前で泣き叫ぶのは眼に見えており、打算的な「テロ特措法」などという幼児紛いの飯事はさっさと撤回した方が身の為であるといえる。

イラク占領の完全なる失敗によって苦境に立つ己を何があろうと擁護するポチ国家を心中では嘲笑/軽蔑しながらも、プロパガンダとしての利用価値の高さを認めて何かと「例え」に出すブッシュjr.一派の思惑が「理解」できるはずもなく、小泉純一郎や安倍晋三等が代表するブッシュjr.と同類の能無しどもは、日米関係が良好であれば「世界」は良くなると何時まで経っても馬鹿を晒し続けるのである。逆に捉えれば、「属国」としての安泰たる地位が揺らぐことはないため、親分の袖を引っ張りつつ中国/朝鮮等に睨みを利かせるには何かと好都合というところだが、どこまでもブザマである。



……イラク/アフガニスタンの地で「自由」を奪われ続けている人々は、逃げ場を失い荒れた地を延々と彷徨うか、武器を手に己の死を代償として抗うしか、道が残されていない。だが、嘗ては極限にまで追い詰められた人間の真の「自由」「解放」に繋がる抵抗運動であった「レジスタンス」の理想は現代では見る影も無く、宗教的/人種的な問題を抱え込んで雁字搦めになった抵抗者は、飛躍的に殺傷能力をあげた爆弾を抱えて、罪無き人々を大量に巻き込んで、「無慈悲」且つ「無意味」な「自爆」攻撃を繰り返すのみだ。

「民主主義の兵器庫にある最強の武器は、創造主によって人間の心に書き込まれた自由を求める欲求」などと、暴力信仰者ならでの表現によって「自由」を蹂躙するブッシュjr.を「打ち負かす」手段は、揺るぎ無き大義でも、未来無き暴力でもないことは、視えない「敵」に怯えつつ自傷行為を続けるアメリカの有り様が何よりも雄弁に物語っている。

【この項続く】



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絶望の中にある「希望」
2006年10月16日『Under the Sun』にコラムとして掲載。



「エスペラント」。
これは、異なる言語間でコミュニケーションを図る為に考案された人工言語であり、『大辞林』から引用すれば「言語のちがう諸民族間の相互理解を目的とするエスペラント運動は、民族解放思想、反差別思想、平和思想と互いに影響し合い、多様な側面を持つ」ものだ。

反・排外的民族主義性という側面がある為に、過去にはヒトラーやスターリンなどの独裁者によってエスペランティストたちが粛清された歴史もあるのだが、「エスペラント」自体は何ら思想的根拠を持たないため、世界の変革を目指すイデオロギーとは一線を画しているといっていい。

そして「エスペラント」とは、“希望する者”という意味を持つ。

だが、本稿で私が綴りたいのは「エスペラント」のことではない。
実は、真っ先に思い浮かべたのは、今から約40年も前に壮絶なる最期を遂げたエスペランティスト、由比忠之進のことだった。日本に於けるエスペラントの先駆者的存在であり、政治思想とは無縁の平和主義者。彼は、まさに“希望する者”として、己自身の生命を代償とする、儚くも揺るぎ無い「平和」を勝ち得ようとした。

其の身体を、真っ赤な「炎」と化して。


1967年11月11日。

泥沼化したベトナム戦争は、アメリカ合州国の「北爆」開始とともに「狂気」の域へと突入して無辜のベトナム人民を無差別で大量殺戮し、いつ終わるともしれない此の世の地獄を地上に展開し続けていた。反戦運動は世界中に拡がり、日本に於いても学生・労働者を中心に激烈なる闘争が繰り広げられていた。
安倍晋三の血縁でもある当時の佐藤栄作首相は、実兄岸信介の盲目的対米追随路線を受け継いで、ベトナム侵略を全面的に支持し、政治/経済/軍事全ての面で米国を無条件に支えていくことを公言した。

朝日新聞記者であった本多勝一が現地取材したルポルタージュ『戦場の村』をエスペラント語に翻訳し、如何なる政党/セクトにも属さず平和活動に終始していた由比忠之進は、翌日には渡米する佐藤栄作と米国大統領ジョンソンに宛てた抗議文を綴ったのち、首相官邸前へと赴いた。焼身自殺を決行するためだ。
彼の日記(横浜日記)によれば、「死をもって抗議する」ことを一年前から綴っている。

議事堂周辺は、首相訪米阻止のデモで騒然としていた。

自殺直前の走り書き(引用は原文のまま)

今日自殺決行となるとやっぱり興ふんすると見え一晩中抗議書作成その他で一睡もしなかったが少しも眠くなかった。朝出掛けるに当って机上を整理したのだが静(注:由比夫人)は何等疑いをかけなかったので落付いて出掛けられた。死期が迫っているにしては冷静でおられると思って居たのだが虎の門に近ずくに連れ胸がどきどきしだした。

主相公邸に近ずくに連れますますはげしくなった。やっぱり死と云う事は大変な事だ。
愈々公邸の前に来たが通行人が一杯で到底決行が出来ないので素通り、夕方迄待つ事にし遂に山王に来た。石段に掛けて之を書いた。


由比忠之進は、議事堂周辺からデモ隊が一時引き揚げるのを待って、携行したポリエチレンの瓶からガソリンを浴びた。そして、抗議文の入った鞄を道端に置いたのち、自らの服に火を点けた。
一瞬のうちに、上半身は火だるまとなった。

燃え上がる炎と化した其の時、由比忠之進は何を想っていたのか。
降り注ぐ殺傷爆弾によって身を焼かれていったベトナムの子どもたちと同様の無慈悲なる苦痛を其の老いた身体に受け止め、瞬時に蒸発していく涙で翳んだ其の眼に映っていたものとは、いったい何だったのだろうか。

絶望か、希望か。


この残酷極まりない殺戮の時代。
「絶望」の只中に於いて、自らの命と引き換えに「希望」をもたらそうとした、一人の闘う平和主義者の凄まじいまでの炎。

だが、彼の想いとは裏腹に唐突な「自死」を受け入れられない身体細胞はそのまま死滅することを拒否し、傀儡政権の首長が米国へと向けて旅立つのを待っていたかのように、ようやく彼の「意志」を叶えた。佐藤栄作を乗せた飛行機は、残酷にも由比が絶命した9分後に羽田を離陸した。

天空へと舞い上がった由比忠之進の魂を遮り、銀色の翼は彼方へと消えた。
由比忠之進、73歳だった。彼の決意は誰一人知らされていなかった。病院へと駆け付けた家族や友人は、やり場無き怒りと悲しみに震え、茫然と立ち尽くしていたという。


由比忠之進は佐藤栄作に宛てた長文の抗議文で下記のように綴っている。

敗戦時の略奪暴行をつぶさに経験した私は、ベトナムに於けるアメリカの止めどのないエスカレーション、無差別の爆撃、原爆にも劣らぬ残酷極まる新兵器の使用、何の罪もない子供に迄およぶその犠牲、ベトナム民衆の此の苦しみが一日も早く解消されることを心から望んでおります。


たとえ「実現」されようとも、己自身が決して視ることも実感することも叶わない「希望」の行方。それでも、彼は勝ち得ようとした。まるで、絶望の暗闇で喘ぐ人々を「反抗」の深淵へと導いていこうとでもするかのように。
由比忠之進は、己の死をもって真に平和を願う人々の一条の光明と成ろうとしたのか。或いは、卑劣なる権力者への憤怒が突き動かす究極的な「抗議」の表れを、我々に示そうとしたのか。

戦後文学者の高橋和巳は、『暗殺の哲学』と題した論稿で次の様に述べている。

「相手の悪が歴然としていて、相手に向かって武器をとることが道徳的にも許されるだろう際にすら、相手の面前でむしろ自殺してみせる精神、あるいは暴力に報いるに徳をもって絶食し、徹底した非暴力手段でもって相手の道徳心を喚起しようとする行動は、一見恐ろしく迂遠にみえる。しかし、民衆が特有のイメージを賦与している行為類型に従っている限り、非常手段がもつ民衆の精神的覚醒の契機には充分なりうるのである。

政治的手段は、すべての行動がそうであるように、それぞれの生活がいとなまれている固有の状況に規定され、その状況の中で意味をもつ。暗殺から抗議自殺、そして徹底した非暴力的手段も、その状況差によって分岐しつつ、政治抗争の中でより新しき倫理を築きえたものが未来を担いうるという確信において共通する。ということは、共通の意図のもとにも、従来見られなかった抗議行動、抵抗運動、破壊活動がまだまだありうることを意味する。」


由比忠之進が抗議自殺を遂げたのは、この論文が発表された2ヵ月後のことだ。そして、34年後の9月。ニューヨーク貿易センタービルに二機の旅客機が突っ込んだ。

無論、2つのケースは相反する抗議行動であり、抵抗運動である。後者は「運動」とも呼べないかもしれない。ただひとつ「共通」しているのは、己の「死」をもって権力に抗うということだ。一方は極めて孤独の裡に、もう一方は未曾有の罪無き犠牲者を呑み込んで果てていった。「敵」の暴力に対して、より強大な暴力を志向しつつ「抵抗/破壊」する現代のテロリズム。報復の連鎖に埋没したままに歴史に擦り込まれていくのは、終わり無き血の痕跡のみであろう。


由比忠之進の孤独な死は、今もラディカルな問い直しを語り掛ける。
どんな思想にも宗教にもコミットメントせず、国家による人殺しの無意味/残虐性を問い質し、何処までも突き詰め、人間の死とは国家やイデオロギーによって左右されるものではないという「証明」を、其の衝撃的な自死によって伝えた。

由比忠之進の遺書から抜粋する。

私は本日、焼身自殺をもって佐藤首相に抗議する。当事者でない私が焼身自殺するのは物笑いのタネかも知れないが、真の世界平和とベトナム問題の早期解決を念願する人々が私の死をムダにしないことを確信する。


由比忠之進の死から7年後。佐藤栄作は嬉々として「ノーベル平和賞」を受賞した。 だが、そんな愚劣なる茶番を演じた破廉恥野郎よりも、我々の記憶として残り続け、今なお真の「平和」「希望」を語りかけてくるのは、云うまでも無く由比忠之進である。


この狂った世界に、ほんの一瞬だけ燃え上がった炎は、だが確実に未来へと受け継がれていると信じたい。
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Undercurrent
教育(国家服従)基本法、国民投票(憲法第九条抹殺)法、「共謀罪(警察国家樹立)」法……という極悪且つ卑劣極まりない法案が、ファシスト/愚将コイズミ自滅党とカルト/独裁イケダ邪欲党が結託した大政翼賛会とも称すべきファシズム体制によって、まもなく強行採決されようとしている。

薄汚い愚劣政治屋どもが性懲りも無く連日にわたって嘘八百を垂れ流す「千葉7区補選」や、保守反動/レイシストどもがヨダレを垂らしながら狂喜乱舞している「竹島問題」へと阿呆どもを扇動するハイエナ・マスコミに、真っ当な「ジャーナリズム」「批判精神」を期待する方が「どうかしている」のだろう。

自己崩壊の途上にあるコイズミの劣化エピゴーネンに過ぎない「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」という恥知らずの与野党ごったまぜゴミ集団が、その醜い首を揃えて戦意高揚神社へと晒したが、高揚し歪みきった民主党オザワの澱んだ眼には当然のこと「入らなかった」らしい。


無残なるニッポンの有り様。裏切られると判っていてもなお、幻想におぼれ、腐敗した体制を支えていく「大衆」の心理。

そろそろ、この世の「地獄」を語らねばならないらしい。


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本日、私用にて或る産婦人科を訪れた。

新生児室で眠る赤ん坊が何かをつかみとろうするかのように、右手を差し出していた。

その先にある私の心。
戸惑いつつも硝子越しに笑顔を返そうとした私を察知したかのように、
赤ん坊は小さな手をいつまでも差し出していた。

まるで、彼はこう語りかけているかのようだった。

安心しなよ。
……キミの望んでいるものは、この手の中に……


私は彼の小さな手を握ろうと、片手を差し出した。
其処に、透明で厚い硝子があることさえ忘れたままに。



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Undercurrent
脳出血、そして癌……。
闘病生活を送りつつ綴られた辺見庸の随想集『自分自身への審問』をゆっくりと読み進めながら、実存的思索の果てに驚くべき深淵にまで達した、この類稀なる文学者の肉体から発せられる鋭利な「言葉」の一節一節を噛み締めている。
この世の業全てを、癌細胞に侵されたその一身に受け止め、己の血と肉へと溶解/浄化し、吹き荒ぶ荒野に独り立ち竦む辺見庸の壮絶なる「境地」。

私の拙い「言葉」で如何に表現できるかを摸索しつつ、今しばらくは「死と生」の狭間に身を委ねてみよう。
読了後に去来するのは、背に迫る漆黒の闇か、それとも彼方の暁光か……。
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Neo-Radicalism
以下の文章は『Under the Sun』のコメント欄に記入したものだが、ここにも再掲しておきたい。



「人生は何の価値もない。だが、何ものも人生ほどの価値はない」
行動する作家、後に政治家ともなったアンドレ・マルローの言葉である。

私が最も心酔する哲学者J-P・サルトルが『知識人の擁護』(人文書院)の中で引用した文章であり、 “この世界のただ中で、真の「知識人」は社会や大衆とどう関わっていくべきか”を、実存主義の思想に基づいて語ったものだ。

“……言うならば、人生を生み出す背後の世界を見失うことなく、人生の肯定という観点から、 世界をその総体において考察すること…… ”と、サルトルは述べた。

ただただ、利己的にこの世を謳歌することも自由。
絶望することも自由。逃避することも自由。
けれど、その「自由」に如何ほどの「価値」があるのか。

社会や他者との関わり合いを避けても、「生きる」ことの実感は到底得られないだろう。
サルトルは、常に積極的な「アンガージュ(社会参加)」を説き、自らもその思想を実行した「闘う」知識人だったが、現代日本に於いて思想/行動の指針となり、権力に抗う「知識人」と呼べる人物は、残念ながら希少である。

だが、例え「知識人」が不在であろうと、この「世界」との関わりの中で「どう考え」「どう行動するか」は、一人一人の「自由」に委ねられており、最終的な選択を為すのが自分自身であることに違いはない。


我々一人一人が「状況」と真摯に向き合い、搾取される側・差別される側に立って発言や行動を為すことは、誠実なる生き方の表れとしての結果であり、反動的人間から「偽善」と揶揄されようと、志を持って堂々と立ち向かえばいい。

人間的な価値の「階層化/差別化」さえ、急速に進められている状況下に於いて、冒頭で引用した「何ものも人生ほどの価値はない」と心から人々が言える社会の実現のために、根源的に問い直し、行動に繋げていきたいと思う……。


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叛逆と闘争 〜 Introduction 〜
飼い馴らされている犬のように善良な習性に生きることは怖い。

いや、そういう怖さの発見のあとに即座に、そのような習性にあることにまったく無自覚であることこそ最大の怖さだと知らねばならない。飼い馴らされているというあなたまかせの主体喪失の態様は、その失った分量を飼い主に譲渡するということで結着するのではなく、あずけた瞬間からの寛容さが飼い主の存在を許しそれとの調和を求め、そこに無風的秩序を形成する方向に機能するのだ。

時間が何かを稼いでいく。従順が黴のはえた美徳という名示を日当りのいい場所に連れ出す。人びとは平穏無事のなかにいることをそのとき実感する。無風的秩序が精神と肉体のバランスを生み出しているのだと、そこで人が感じとったとすれば、それはお人好しの錯覚以外ではない。

飼い馴らされている犬は常にバランスを欲するらしい。バランスを求めつつ、すでにバランスを得ているという錯覚する状態のなかで「平穏無事の意味」が蘇生するのだ。衆にとってこの意味が実感を規制し実態を歪め、想像力を封殺する。何と息苦しいことであろうか。しかし、これを息苦しいと感じてはならない。感じないときのみ「平穏無事の意味」が生き、無風的秩序は保たれる。

『一揆論 〜情念の叛乱と回路〜』(第一章/暴力からの誘惑) 松永伍一著



叛逆と闘争がまだ「意味」を持ち得た七十年代の日本に於いて、学生を中心として広く読まれた『一揆論』の冒頭部分からの引用である。著者述べるところの「一揆を題材として人間の反逆の心的構造をさぐろうとする小さな試み」は、現代日本の状況をも鋭く照射し、ラディカルな問いかけを今なお発し続けている。

「飼い馴らされている犬」である大衆は従順に右傾化してバランスをとり、無自覚な習性のままに権力の思惑通りの「無風的秩序」をもって、叛逆と闘争がもたらす孤独と飢餓状態から回避する。

「無風的秩序」を壊す人間の出現は、時に「暴力」を伴う「叛逆」へと向かう。往時に於いては、究極にまで虐げられ民衆の怨恨や怨念が「一揆」によって暴力の開放へと至り、予測しえた非業の死と更なる弾圧と圧政をもって挫折の果てに終焉した。


現代に於ける「暴力」が権力機構の専売特許である以上、「飼い馴らされている犬」から覚醒し「無風的秩序」の破壊を志向する人間がとるべき叛逆と闘争のカタチとは何か。


『マルチチュード 〜<帝国>時代の戦争と民主主義』
 アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート


アクチュアルでラディカル。
数多くの示唆に富んだ秀逸なるディスクールにしばらくは耳を傾けよう。

新たなる叛逆と闘争を前にして。

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Engaement …新たなる賭けのために
郵政法案14日成立へ 衆院、2百票差で可決

郵政民営化関連法案は11日午後の衆院本会議で、与党などの賛成により200票差で可決、参院に送付された。12日午前の参院本会議で審議に入るが、通常国会で反対し否決に追い込んだ自民党参院議員のほとんどが賛成を表明、民主党も強く抵抗する姿勢を見せていないため、14日に成立の見通しだ。衆院本会議採決では、前国会で反対して無所属となった議員13人のうち11人が賛成。わずか5票差で衆院を通過した3カ月前と打って変わり、賛成票は衆院の3分の2を大きく上回る338票に上った。
「反対組」で今回の衆院選で当選したのは17人。無所属で反対したのは平沼赳夫前経済産業相1人だけで、野呂田芳成元農相が欠席した。野田聖子元郵政相らは賛成した。
【共同通信 2005.10.11】


既に形骸化していた「議会制民主主義」は完全に死んだ。

主権在民、基本的人権の尊重、平和主義(戦争放棄)……。
日本国憲法の理念を次々と抹殺するコイズミ大勢翼賛/恐怖政治は、いよいよ亡国へのカウントダウンに入った。
この国の「政治」は一切機能しない。本日の茶番劇は、ひとつの「確認事項」に過ぎない。


抗うこと。
いま一度、「自由」の思想を学びとること。

Engaement
……賭けはなされた。


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「反抗」のためのパラドックス
きまぐれによる服従。
『パンセ』 ブレーズ・パスカル


憲法世論調査] 9条改正「反対」は62%

毎日新聞は憲法問題について、全国世論調査(面接)を実施した。憲法改正に「賛成」と回答した人は58%で、「反対」の34%を上回った。戦争放棄や戦力の不保持を定めた9条については「変えるべきでない」が62%で、「変えるべきだ」の30%の2倍に達した。衆参両院の憲法調査会や自民、民主、公明各党による論議で国民に改憲への支持が広がる一方で、自民党が重視する9条改正についてはなお慎重な国民意識を示した。
(中略)
同時に、9条改正について聞いたところ「変えるべきでない」との答えが男性で57%、女性は67%に達した。「変えるべきだ」は、男性が38%、女性は23%にとどまった。世代別では、20代の70%が9条改正に反対したのをはじめ、30、50、70代以上の各世代で6割を超えた。改正賛成派は40代の36%が最高。9条改正賛成派にどの部分を変えるべきかを聞いたところ、戦力不保持と交戦権否認を規定した2項だけを「変えるべきだ」と答えた人が50%と最多。戦争放棄を定めた1項と2項の「両方とも」が35%と続き、1項だけを「変えるべきだ」は13%にとどまった。(以下略)【松尾良】
【毎日新聞 2005.10.5】

衆院選当選者、憲法「改正する方がよい」81%

今回衆院選当選者の意識を、読売新聞の候補者アンケートに基づいて探ったところ、憲法を「改正する方がよい」と思う人が81%に上ることが12日、分かった。2003年の前回衆院選での調査結果に比べて8ポイント増えた。自民党圧勝の選挙結果を反映したものだが、憲法改正に向けた政治環境がさらに整ったことになる。
具体的な改正内容(複数回答)は、「自衛のための軍隊保持」が65%で最も多く、「積極的な国際協力」64%、「良好な環境で生活する権利」45%、「個人情報やプライバシーの保護」38%、「家族の尊重」32%が続いた。
【読売新聞 2005.9.12】(※一部略)



「反抗」のためのパラドックス……その序章として。

近い将来、公然と戦争ができる「普通の国」となった暁には、敵対する弱小国に対し「自衛のための先制攻撃」を仕掛けて侵略/占領し、晴れて「大ニッポン帝国」を名乗った上で、新国家として独立していただきたい。
或いは、念願であるアメリカ合州国に併合され、めでたく第51番目の「ニッポン州」として、コイズミもしくはイシハラ → 改名ポチ知事のもと、覇権国家の欲望を叶えるべく存分に邁進していただきたい。

どちらにせよ、アメリカ合州国の独善ファシスト以外には全く相手にされずに孤立し、総スカンをくらっている現状なのだから、体制を堅持するにはその方が好都合だろう。自衛軍は「州兵」として国内外を問わず大いに活躍できる。

「普通の国」では、国家権力によって「自衛」という大義名分のもとに人を殺す権利が分け与えられる。憲法第9条改悪に賛同し成立に関わった者すべては、当然「人殺し」の権利を手にすることを望んだ訳であり、愛する国のために「殺される」覚悟もまた、同時にできている訳である。


憲法改正[悪]にあたっては、次の項目を当然入れるべきである。

憲法第9条改悪に賛同し成立に関わった者すべては、成立と引き換えに「徴兵」の義務を負うこと。20〜30代は勿論のこと中高年も軍隊入りし、殺傷兵器を手に覇権国家が巻き起こした紛争地域に一度は派遣されること。前世紀の遺物と成り果てた政官財の特権爺どもは、紛争地域の最前線に息子もしくは縁類から男子を差し出す義務を負うこと。戦没者は宗派の如何に関わらず未来永劫「靖国神社」に祀られること。

そして「国民投票法」には、次の項目を当然入れるべきである。

憲法第9条改正[悪]に「否」を意思表示し、反対運動によって現体制の治安を乱した者については、新・治安維持法(別称「共謀罪法」「破壊活動防止法」)を適用し、国家権力によって処罰(処刑)されると明記しておくこと。

「良好な環境で生活する権利」「家族の尊重」などの、単に憲法9条を改悪するためだけに付け足した愚劣で杜撰な項目は全て削除した上で、911総選挙でのポチ首長による「郵政民営化」と同様の手法によって、憲法第9条改正[悪]のみを堂々と「愛する国民」に問えばいい。

この国は一糸乱れぬ「新(=神)自由主義国家」なのだから。
過日、大阪高裁にて靖国参拝違憲判決が出たが、自滅党モリゾー倶楽部部長の迷言「日本は神の国」を早速「改憲法案」に盛り込んで改訂してしまえば、改悪憲法の下で問題はなくなる。


「9条改正を止めるな!」「戦力保持と交戦権は改革の本丸」をスローガンとし、腑抜けマスコミとコイズミ・クローンを総動員して、一大洗脳キャンペーンを繰り広げればいい。国家のためには死をもいとわない愛国的好戦主義者は、諸手を挙げて賛同するだろう。


帝国アメリカは「自衛のために」独立国家を侵略/崩壊させ、罪無き人々を大量虐殺の上、無法国家/傀儡国家を作り上げて、新たなテロリズムの温床とした。一部の特権階級の私利私欲ために「国益」を騙り、楯突くものを排除し、有り金全部いただくことは朝飯前である。
お手本とし、覇道を突き進むべきである。

「ニッポン州」としては、いつまでも「自虐史観」にとらわれることなく、あくまでも相対的に歴史を捉えよう。先人の偉業を称え、全ての「侵略」と「虐殺」は、「自衛」のためであり、アジア諸国の「解放」のためであったと謳おう。我らの国民は、本質を問うことなく甘ったるいデマゴギーと事実改竄の果ての逃避に癒しを求める「自慰史観」こそが本流であるのだから。


時流にのり、「きまぐれによる服従」によって、すべての改悪につながる糞改革に賛同した者が、その地獄巡りの果てに待つものとは、己と同じ顔を持つクローン人間の集団との回顧である。すべての人間が、かつての己自身の顔ではなく、眼と口をくり抜かれた能面の如くに変貌していたという恐怖。
そして気付く。この顔は我々を無間地獄へと導いた、あの男の顔。
すなわち……。


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今こそ、「自由である」ことを。
「共謀罪」法案を閣議決定 特別国会に再提出

政府は4日、重大犯罪について実行されなくても謀議に加わるだけで処罰可能とする「共謀罪」を盛り込んだ組織犯罪処罰法などの改正案を閣議決定した。今年の通常国会で審議入りした法案とほぼ同じ内容で国会に再提出、成立を目指す。改正案は2003年の通常国会に提出されたが、野党や市民団体が「共謀罪の要件が分かりにくい」などと強く反発。継続審議や廃案を繰り返し、今年6月に衆院法務委員会で審議入りしたが、衆院解散に伴い廃案となった。
共謀罪は、テロなど国際化した組織犯罪防止のため、国連が2000年11月に採択し、日本政府が同年12月に署名した「国際組織犯罪防止条約」がベース。同条約は参加国に共謀罪を設けることを求めている。
【共同通信 2005.10.4】


■「共謀罪」については、こちらのサイトが参考になる。

『自由法曹団』 共謀罪―5つの質問―

「共謀罪」が適用される法律名・罪名


日を追うごとに痴呆化が進む無能マスコミと無知なる大衆によるコイズミ独裁政権賛美の嵐の中、恐怖政治はその全貌をゆっくりと現そうとしている。
中でも、この極悪非道の「共謀罪」法案の腐りきった内容はどうだ。

上記リンク先【「共謀罪」が適用される法律名・罪名】によると“「共謀罪」が対象とする刑法、特別刑法で犯罪とされる法律名・罪名は五百数十に”のぼるという。

“テロなど国際化した組織犯罪防止のため”国連の「国際組織犯罪防止条約」をベースにしたいう、愚劣極まりないまやかしの果てに出来上がった糞法案を、調子にのった妖怪どもが意気揚々とかざしている。だが無能マスコミが追っかけるのはコイズミ・クローンのケツばかり。


嗚呼。全体主義は、ここに完成せり。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から全体主義についての説明を引用すると、
1. 善意(あるいはそれを装って)によって生まれる。
2.既存政体を変更せねばならないため、極右や極左のような極端な思想をもつ個人ないし集団が目新しい装いで支持をひきつける。現体制を保守とするならば、革新の側からしか生まれないことになる。
3. 新世代への希望を発端にして生まれる。
4. 労働者階級等の貧困層、少産階級のように、政治に不満を持つ階層の運動によって生まれやすい。
5. 貧困層が多数派の、普通選挙制度を採用する国で生まれやすい。
6. 軍事力だけではなく、人民の合意によっても生まれる。
等々……。


そして“全体主義の缺点”として、
1. 思想・文化等すべてをイデオロギー一色で塗りつぶしてしまうので、それらは自然的な発展が許されず、イデオロギー化のための手段として利用される。
2. イデオロギーに染まった人々が主導権を握るために、正当な主張を持っていたり、あるいは学術・芸術などに優秀な能力を有していても、体制に従わない者は抹殺されていく。
3. 個人の頭で自由に判断する能力を奪われてしまう。
4. 経済・文化・思想・国民等、すべてを国家が管理するため、効率がいい場合と、効率が悪い場合が極端に現れる。

とある。
見事なまでに、この国の「いま/これから」を現しているではないか。

「共謀罪」法の成立は、我々の日常生活を監視/統制する「警察国家」として全体主義体制を補完し、国家による暴力をもって反体制勢力ばかりでなく、大多数の市民の自由を陵辱/破壊する。


ジャン=ポール・サルトルの『沈黙の共和国』(1944)の中から一部引用したい。
われわれはドイツの占領下にあったときほど、自由であったことはなかった。われわれはすべての権利を、まず第一にものを言う権利を、失ってしまっていた。われわれは、毎日真向から侮辱され、しかも沈黙していなければならなかった。われわれは、労働者として、ユダヤ人として、政治犯として、大量に流刑にされていた。いたるところ、壁の上に、新聞に、スクリーンの上に、われわれは、あの穢らわしい、生気のない顔を見せつけられていた。それは弾圧者がわれわれに押しつけようとした、われわれ自身の顔だった。すべてこうした故にこそ、われわれは自由だったのである。
……全能の警察がわれわれを強制して沈黙させようとしていたが故に、どのことばも、一つの信条の宣言のごとく貴重になった。われわれは追いつめられていたが故に、われわれの挙動はどれも自己拘束(アンガージュマン)の重みをもっていた。
【白井健三郎訳 「シチュアシオン掘 人文書院】



「自由」ついての逆説を、いまこそ熟考すべき時がきた。

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