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 時折、この拙い文章の数々を読み返し、
溜め息をつきながら、現在の私自身の状況を見つめ直す。

無為な日常を送りつつも、愛する家族とともに
また明日を迎えられるということが
決して「希望」に満ちた社会に生きているとはいえない状況下でも
幸福である、という甘い感傷へと導き
穏やかな眠りへと私をいざなってくれる。

されど、「人間」の業について
あらためて思いを巡らす時、
ささやかな凪の揺らぎは
一瞬にしてこの身を滅ぼす波濤をともなう闇へと
私を連れ去っていく。

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Wonderful Life

華は咲き、風は舞い、星は巡る。
嗚呼、この素晴らしき人生よ!

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2008年10月30日『Under the Sun』にコラムとして掲載。



「国民のために……」と厚顔無恥な政治屋どもは云う。

猪首からぶらさげた腐蝕の「免罪符」を裏返せば、穢れた血で書き殴られた文字が、こう読めるだろう。
自民党ならば「私腹のために」、公明党ならば「名誉会長のために」。
麻生太郎ならば「豪遊のために」、安倍晋三ならば「怨霊/岸信介のために」、そして小泉純一郎なら「ブッシュと私の馬鹿息子二人のために」。
こんな奴らが平然とのさばり、「選挙」目当ての愚劣パフォーマンスに於いてのみ「下々」の顔を見下ろし、ドス黒い腹の中から腐臭漂う嘘八百を搾り出し、醜く歪んだ口先から不快な嗄れ声で雑音を撒き散らす。

森喜朗という真正の阿呆が「親や子供を殺すようなことが珍しくもない世の中になったのはなぜか。やはり戦後の日教組教育の大きな過ちだ」などと不遜にものたまい、長勢甚遠/鳩山邦夫/保岡興治/森英介という無能どもが「粛々」と人を殺し続け、薄汚い自己顕示欲で膨れ上がったレイシスト首相が異次元「秋葉原」で戯言を垂れ流す足元を、自らは選挙権も無いのに国会議員に成り上がったド素人詐欺師丸川珠代が下劣な笑みを浮かべて提灯で照らす。

此の無残なる「素晴らしき世界」。

私は耳を澄ます。生き生きとした人間の声を聞くために。
そして……或る女性が語りかける。
「今、暗闇の中にいる人や悩んでいる人も、どうか夢を持って一日を過ごしてください」と。

マラソン選手、高橋尚子の言葉である。
先日(2008年10月28日)、現役引退を表明した彼女は、その胸中を次のように表現した。
「……今は過ぎ去った台風のあとの、さわやかな風が吹いている感じ」
真の意味での「勇気」「癒し」を人々に与えることのできる人間像とは、彼女のような存在をいうのであろう。「さわやかな風」という心象に素直に共感できるのは、彼女自身が「走る」ことを通して多くの人々に同様の「風」を感じさせてくれたからだろう。

私はマラソンを含めスポーツ全般について特別な関心は持たないし、高橋尚子の熱心なファンという訳でもない。けれども、三年前の「東京国際女子マラソン」(2005年11月20日)に於いて彼女がもたらしてくれた爽やかな感動は、今でも鮮明に覚えている。過度の重圧の中で、しばらく満足の出来る結果を残せなかった彼女は、この日見事に優勝を果たして「復活」を遂げた。

レース直後の高揚した雰囲気の下、応援してくれた人々に向かって彼女が語った言葉。柄にもなく私は、彼女の「走る姿」以上に、心を揺り動かされたのだった。

「……人の温かさや力を貸してもらったという意味で、すごくうれしさを感じられた二年間でした。一度は陸上を止めようと思った時も、夢を持つことで一日一日を充実して過ごせました……」

そして、笑顔でこう続けた。

「……陸上に関係なく、今、暗闇の中にいる人や悩んでいる人も、どうか夢を持って一日を過ごしてください。一日だけの目標でも三年後の目標でも、何でも目標を持つことで、一日が充実すると思います。小学生や中学生はもちろん、三十代そして、中高年の皆さんにも、二十四時間という時間は平等に与えられたチャンスの時間です。二度と来ない、この一日の時間を精一杯充実した時間にしてください。今日は皆さんのおかげで私はとてもいい日になりました……」

繰り返すが、二時間以上を走り続けた直後に語った言葉である。高橋尚子の発言であればこそ輝きを放つコメントであり、俗な人間に真似が出来るはずもない。

決して己の功績を驕り高ぶることなく、まず支えてくれた人々に感謝の思いを伝え、自分のように脚光を浴びることが無くても日々懸命に「生き続ける」人々に対して、逆に応援のメッセージを捧げる。彼女は、自らを客観視することを常に心掛けていたのであろう。自分の言動ひとつひとつが報道されて少なからず影響を与えることを自覚し、「綺麗事」に終わらない「生きた」感情表現を試みた。堂々と「プロ」を名乗るに相応しい稀有なスポーツマンといえる。

だからこそ、
優れたマラソン選手のひとりである野口みずきが高橋尚子の引退に際して語った「(高橋尚子さんは)走る心がきれい」という表現に、私はすんなりと納得ができた。

無論、穿った見方をすれば、オリンピックに象徴される薄汚い商業主義と「マラソン界」は決して無縁ではないだろうし、高橋尚子自身を取巻く環境が「綺麗事」ですべて片付くものばかりでないのも解っている。ただ、現在の暗鬱なる社会状況下で、ひときわ眩い光を放ち続けた彼女の「陸上人生」に想いを馳せ、失われつつあった「夢」や「希望」を多くの人々に再び甦せてくれたという、その大いなる意義については、誰であれ認めざるをえないだろう。


彼女が走り終えた後に、常に笑顔で語る言葉には、気取った洒落も、辞書で引いた人生訓もありはしない。胸元に光るのは、嘗て自らの足で勝ち取った金色のメダル。その裏面に刻まれているのは、人々との交流の中で培ってきた自信と誇り。それらが、共に「生きている」ことを実感できる次のような言葉を生み出すのである。

「みなさんの声援が私の背中を押してくれました」

彼女のように駆け抜けることは無理かもしれない。けれど一歩一歩、歩み続けることはできる。
……ありがとう、高橋尚子さん。
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星の断想
2008年8月1日『Under the Sun』にコラムとして掲載。


仕事帰り。駐車場に車を停め、少し離れた住居に向かう途上で、しばらく空を見上げるのが日課となっている。私の住む田舎では今でも満天の星を仰ぐことができるのだが、幼い頃に飽きもせず眺め続けた星空とは、随分と変わってきたように思う。

それは、汚染された大気を象徴するかのように靄のかかった天空を、極めて物質的な光を放ち飛行する航空機によって星々の輝きが翳んでいる所為でもあり、或いはまた宇宙や星に対するそこはかとない憧れの感情が年齢を重ねるほどに失われていき、私の視覚的な印象を変えてしまった所為でもある。



少年時代、山の斜面に陽が沈むのを待って、散歩がてら出掛けた公園の芝生に寝転がり、宵の明星から天の川が視える時分まで、ふと気付けば時間だけが流れていたという夏のひと時は、何かもが洪水に呑み込まれたかのように過ぎ去っていく現在を思えば、とても幸せな時間であった。

星との距離を表す単位である「光年」の意味を知ったのもその頃だった。
私の誕生星座である「蠍座」の一等星として、特に親しんだ紅いアンタレス……その輝きが約600年もの歳月をかけて到達していることに不可思議なる時空を感じ、広大な宇宙の神秘へと思いを馳せた。そして、どうあがいても100年も生きられない人生と、果てしない星の寿命を無謀にも照らし合わせ、不条理なる生命の終わり……つまるところは、子どもじみた死生観へと思考を巡らせていた。

私の命がいつか途絶えようとも、星々は変わらず天空に輝き続ける。
いま佇んでいるこの場所で、いつか見知らぬ人々が、同じように美しい星空を見上げ、様々な想いに浸る。時が流れ、人々の影は変われども、瞬く星々は変わらずに彼方に在り続ける……。

「科学の進歩」によって享受するものとは、きっと星の数ほどもあるのだろう。だが、それと同時に同じ数だけの星影が天空から失われているような気がする。例えば、無機質な高層ビル群が天上へと近づけば近づくほど星々の輝きが消え、最下層の闇がさらに深まっていくように。


……星の光が衰えれば、「闇」はますます漆黒の度を強めていく。

過日。此の国の無能政治屋/傲慢官僚どもが、「宇宙の軍事利用」を大前提とする其の名称からして馬鹿げた『宇宙基本法』という屑法を成立させた。条文には悪質にも「日本国憲法の平和主義の理念にのっとり」などと、誠に手前勝手な文言をわざわざ付け加え、またしても憲法の理念を土足で踏み躙り、戦争遂行を可能とする悪法の免罪符とした。足元の泥沼へと引きずり込まれていくことにも気付かない愚鈍な俗物どもが、口から涎を垂らしつつ見上げた先にあるものとは、己らの卑しい妄想を癒してくれる「軍事衛星」の薄汚い光と、此の地に飛来することを腹の中で渇望する「敵国」弾道ミサイルの麗しき幻影のみなのであろう。

「希望の光」であったはずの平和憲法の光芒は弱まり、鈍い月光に照らされた弾道ミサイルが闇の奥で不気味に光る。そして監視衛星は、まず「我々」自身を捕捉し続けているのである。



……閑話休題

流れ星が、星の死にゆく瞬間をとらえた現象ではないと知って落胆したのは、幼さ故のロマンティシズムであった。けれど、宇宙を漂う塵が地球の大気圏へと突入する際に発光したものが流星として定義されようとも、墜ちゆく星が想起させる脆さ/儚さを何ほども弱めるものではなかった。

『流星』 島崎藤村

門にたち出てたゞひとり  人待ち顔のさみしさに

ゆふべの空をながむれば  雲の宿りも捨てはてゝ

何をかこひし人の世に  流れて落つる星ひとつ


やるせない心の揺らぎを象徴するかのように、星が流れてゆく。
孤独であればなおのこと、情景はより甘美な心象として昇華してゆく。

……詩人が見上げた星空を、今夜はゆっくりと眺めたいと思う。

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花弁の記憶
2008年5月8日『Under the Sun』にコラムとして掲載。





現在、一歳半になる息子は、最近では母親を真似てベランダにある鉢植えの水遣りを手伝うようになった。もちろん手伝うというよりは、必死に親の後について、その行動を追いかけているだけなのだが。

澄み切った碧い空を背に、幼い子と妻が仲良く花に水を遣る何気ない日々の情景が、掛け替えのない幸福感を私にもたらしてくれている。


赤、紫、黄色……、色とりどり花弁は春の風に揺れ、ほのかな香りで私たちを包み込む。息子は片手に持った宝物の玩具を得意気に持ち上げ、もう一方の手で綺麗に並んだ鉢植えを指差す。

じっと私を見詰めたあと、息子は白い歯を見せて無邪気にはしゃいだ。
水遣りを終えて振り返った彼女が、愛する我が子に微笑みかけた。
足元では、一緒になって笑っているかのように、小さな水滴をのせた花々が陽光を浴びて煌めいた。


アッ、と子どもが叫んだ。
眼を細め、彼が見上げた空には、真っ白い飛行機雲が一直線に伸びていた。
名も知らぬ鳥の影が、それを横切った。母親の肩にもたれ、いつまでもその行方を追っている彼を抱き上げ、言葉をかけた。


時が経てば、花は枯れ、季節はまた巡る。
再び、子どもが青いジョウロを手にする時、必ず傍らには私たちが微笑んでいることを願い、此の一瞬を、私は記憶の淵にそっととどめた。

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血の絆
2007年9月18日『Under the Sun』にコラムとして掲載。





歳をとった所為か、もしくは新米の父親として愛する子どもと日々接している所為なのか、今までは見過ごしがちであった「家族」を巡る社会的事件に、激しく心を揺さぶられることが多くなった。中でも、幼児虐待や子殺し/親殺しという極めて異常なケースに色濃く漂う絶望感/頽廃観には、時に茫然とする程の衝撃を受けている。極限的状況で立ち現れる「血の絆」にこだわれば、自ずと視えてくるものがある。


本日(2007.9.18)京都府京田辺市に於いて、警察官の父親を持つ16歳の少女が、近所のホームセンターで購入したとされる斧で父親の首を切り、殺害した。「父が嫌いだった」というのが其の動機だという。特筆すべきは、其の残忍極まりない殺害方法である。親子という関係性を一瞬にして断ち切ろうとして、少女は敢えて「手斧」を選んだのであろうか。だとしたら、彼女は裏切られたであろう。振り下ろした斧によって大量に浴びた「返り血」とは、親子としての「血の繋がり」をまさに象徴し、其の痕跡を消し去ることなど不可能である、と逆に悟ったであろうから。


「子殺し」としては、次の事件が記憶に残っている。

夜泣きさせないために二女を虐待していた

愛知県豊川市の自宅で生後9カ月の二女を浴槽に沈めて虐待、死亡させたとして、傷害致死罪に問われた父親の元派遣社員重松慎太郎被告(23)と母親の無職幸子被告(25)の初公判が30日、名古屋地裁豊橋支部(島田周平裁判長)であり、両被告は起訴事実を大筋で認めた。
検察側は冒頭陳述で「幸子被告は二女を浴槽でおぼれさせると『よく寝る』と言い、4月初めから、夜泣きをさせないために夫婦で浴槽に沈める暴行を繰り返していた」と指摘。夫婦は生活苦と離婚問題を抱え、いら立ちを解消するために二女を殴ったり口にティッシュペーパーを詰めたりして虐待していたとした。
起訴状によると、幸子被告は自宅浴室で5月7日、二女夏蓮ちゃんの顔に約10回、シャワーで放水。重松被告が頭をつかんで繰り返し浴槽の湯に沈め、翌8日に窒息による低酸素脳症で死亡させた。幸子被告は途中、重松被告に「まだ元気そうだからやっておいて」と指示していたという。【日刊スポーツ 2006.8.30】


此の世に誕生して僅か9カ月。
ささやかな愛情さえひと欠けらも受けられないまま、鬼畜たる父親と母親の手によって未来を絶たれた赤ん坊の生命とは、いったい何だったのだろう。

夜泣きをしない赤ん坊など在り得ないのであるから、此の二人の殺人者は自らの子どもを人間として見ていなかったのであろう。つまりは、人間性も愛情の欠けらも無い、己らの穢れた血を継承する者が「人間」であるはずはない、ということだ。そうでなければ、例え最下層での苦しい生活や手前勝手なトラブルの捌け口として他者への攻撃性を剥き出しにしようとも、何ひとつ抵抗力の無い己自身の赤ん坊へと暴力の矛先を向けるはずがないではないか。

水中で泣き叫ぶ憐れな赤ん坊が薄れゆく意識のさなかで最期に視たものとは、父親と母親の恐るべき形相であったであろう。たとえ、言葉を知らずとも、こう叫びたかったに違いない。
……何故、私は生まれたのか。何故、私は、こんなにも早く死んでしまわなければならないのか。何故、私が憎いのか。お父さん、お母さん、教えて……、と。


さらに、
「子殺し」の非人間性を象徴する「秋田連続児童殺害事件」(2006年4〜5月)では、検察側冒頭陳述に於いて、母親が「長女を橋からつき落とした」状況が述べられた。此の事件を知る者すべてが同じく「橋からつき落とされた」気持ちとなる惨たらしい内容である。

事件当日(2006年4月9日)、彩香ちゃんは「川に魚を見に行きたい」と激しく鈴香に迫ったという。ふだんから彩香ちゃんをうとましく思っていた鈴香はこれに逆上。藤里町にある大沢橋に連れて行き、彩香ちゃんが「魚が見えない」と言うと、「だったら橋の上に乗ってごらん」と言い、欄干に乗せた。
彩香ちゃんは「怖いよ。手を離さないで」と懇願したが、鈴香は彩香ちゃんの左肩を強く押して、突き落とした。彩香ちゃんは「お母さ〜ん」と叫びながら、頭から落ちていったという。


もはや、言葉もない。坦々と語られる陳述故に、尚一層恐怖は増す。
真っ逆さまに落ちていく少女が、其の刹那に何を思い、そして絶命していったのか、を想像することさえ躊躇わせる。「お母さん」という惨すぎる絶叫には、それでもなお母親に対して「救い」を求める思いがあったことは間違いがない。そして娘の肩を押した手を膠着させ、橋の上で微動だにしない鬼畜の両眼からは、すでに次の地獄を予期させるものがあったのだろう。

殺人者は云う。「かなわない願いだが、彩香をもう一度抱いてあげたい」

これほど、不条理な「言葉」があるだろうか。ならば、それよりも先に少女の問いに答えるべきである。
……何故、私は生まれたのか。何故、私は、こんなにも早く死んでしまわなければならないのか。何故、私が憎いのか。お母さん、教えて……、と。


例え、生活が困窮し精神的に追い詰められた状況であろうとも、本来は己らの希望/救いとなり、展望を切り拓く糧となるはずの掛け替えの無い子どもを、刹那のカタルシスを得るための犠牲とする鬼畜の大半は、総じて「弱い人間であった」と称される。

けれども、虐待される側/殺される側にとっては、抵抗する力も時間も許されないままに、非人間性を剥き出しにしたまま眼前で加速する暴力……しかも血の繋がった親や子が変貌する恐怖に萎縮したままに、我が身体を差し出さざるを得ない。どちらが真の意味で「弱い」のか、比べるまでもない。虐待する側/殺す側は常に己より「弱い」存在があるからこそ、其の手を血に染めていくのである。

精神的に大人になれない「大人」が己の鬱屈した憤懣を我が子/他人の子どもへの無慈悲なる暴力へと転化し、無残なるルサンチマンの解消をはかる昨今の悲惨な事件の数々は、「人間」そのものへの根源的な問い直しまでも突き付けてくる。此れも世情の反映だと無下に切り捨てることは、己もまた極限状態に追い込まれれば、子どもを殺めかねないと吐露することと同じである。


……何故、私は生まれたのか。
少なくとも、次の記事に登場する親子は、我々にひとつの示唆を与えてくれる。

赤ちゃんポスト:障害児預けたが、思い直し引き取る

熊本市の慈恵病院が設置している「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」に、いったん障害のある生後約1カ月の男児が預けられたが、両親が思い直して引き取っていたことが11日分かった。
関係者によると、男児は体に重い障害があり、両親は治療による経済的負担や子の行く末を案じ途方に暮れていた。「一緒に死のうとも思ったが(ポストに)預ければ助けてもらえるのでは」と思い、8月上旬に預けたという。しかし、両親はその後、病院側とメールでやり取りし、やはり子どもを見捨てることはできないと思い直して、約10日後に引き取っていた。
赤ちゃんポストは5月の設置以降、これまでに7人が預けられており、その後に両親に引き取られたのはこの男児だけ。【毎日新聞 2007.9.12】


子どもだけが救われたのではない。親もまた、子どもによって救われたのだ。
そしてまた、此の記事を読んだ多くの人々に「勇気」をもたらし、親と子の絆について問い直す機会となったことだろう。


……何故、私は生まれたのか。
「共に生きる」という存在こそが、其の問い掛け自体を天空へと消しさっていく。


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命果てるまで
2007年2月16日『Under the Sun』にコラムとして掲載。





此の世に誕生して僅か三ヶ月余り。

小さな手を握りしめたまま浅い眠りについた子どもを抱きしめて、その力強い鼓動を胸で確かめる。母親譲りの白い肌は、冬の暖房のためか赤く染まり、先刻まで泣いていた名残りの涙が頬をつたう。

傍らに置いた色とりどりの玩具が夕陽に映えて煌めき、ふと自分自身の手を沈みゆく太陽に翳せば、名も知らぬ野鳥の群れが茜色の千切れ雲を掠めて飛翔する。

……そっと寝かし付けた子どもが口元を緩めた。
きっと楽しい夢でも見ているのだろう。

私は込み上げる感情を抑えて、深く息を吸い込む。
何気ない情景を、何故こんなにも掛替えなく想えるのか、と。


「愛しい」という言葉さえも凌駕する此の深い想いは、
生まれ来る子どもたちへと分け隔てなく与えられるべきものだ。

だが、我々「大人」はいつしか忘れていく。
子どもに笑いかければ、彼らは必ず笑顔を返す、ということさえも。
甘ったるく薄汚れた「言葉」で幾ら語りかけようとも、能面の如き死んだ眼では、決して愛情の交換など生じない。
彼らは「映し鏡」であり、我々自身の投影なのである。


……テレビのブラウン管が、彼方の国の紛争を映し出す。
襤褸切れの如く横たわる子ども。泣き叫ぶ母親。怒りに我を忘れる父親。

此の世界には「恵まれた」環境で生きることの適わない子どもが大勢いる。
今現在も、無残に殺されていく子どもが世界中にいるという事実。果たして出来るだろうか。彼らに微笑みかけることが。キミは望まれて生まれてきたのだよ、と語りかけることが。
成すすべも無く、命果てていく其の瞬間においても。

貧困故に飢えて死にゆく子どもも、戦争で成り上がった人殺しも、私の愛する家族も、私自身も、「生命の連鎖」に組み込まれた一単位に過ぎないと冷徹に切り捨てることは容易い。けれども、我が子を命果てる時まで「守りたい」という紛うこと無き本能を、いつまでも「優しく」愛情を育んでいきたいという偽り無き感情を、不条理なる道理で説明できるはずもない。



……残照がカーテンの隙間から射し込み、我が子を照らした。
彼は眩しそうに薄目を開けて大きく伸びをしたあと、私の姿をとらえた。

そして、笑った。私よりも先に。

ひとつ悟ったことがあった。凡百の書物よりも、子どもは「生きる」糧となるということを。

……ありがとう、優樹。
   私は、もっとキミから学ぶべきなんだね。


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幸福の環
日々成長していく子どもの穏やかな寝顔を見つめ、
その未来を想う。

眠っている時も、目覚めている時も、
小さな手足を元気よく動かし、
彼を見守る人々へと、緩やかな笑みの環をつくり上げていく。

幸福とは
たとえ、ささやかであろうとも
それに代わるべきものなど何も無い、
確かな愛情の交感から生まれくるものなのであろう。



目覚めた子どもの瞳の中に、
ぼんやりと映る私自身の姿を視る。

笑っているのか、
憂いているのか、
なんともいえない複雑な表情に思えた。

子どもを膝の上にのせ、
ふたたび彼の瞳をのぞきこむ。

けれど、そんな私を視て
声をあげて笑った子どもへの
溢れんばかりの愛情が、すべてを杞憂へと変えていく。

なにも迷うことはないのだ。


……「生きる」ことは、
「幸福」とともに「未来」へと繋がっている、と信じさえすれば。





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失われゆく「ふるさと」
2007年1月17日『Under the Sun』にコラムとして掲載。



「ふるさと」を想うとき、誰もが一度は諳んじたことがあるだろう。
この抒情詩の一節を。

ふるさとは遠きにありて思ふもの  そして悲しくうたふもの
よしや  うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに  ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて  遠きみやこにかへらばや  遠きみやこにかへらばや

『小景異情 〜その二〜 』 室生犀星


「ふるさと」とは、生まれ育った町を遠く離れてのちに、初めて立ち現れる。
そして、「ふるさと」を想い描くとは、そのまま自分自身を振り返ることにもつながる。

甘美なる郷愁の念とともに愛する人や風景に想いを馳せ、自分の成長の糧は紛れもなく故郷にあったと悟る。けれども、時を経て様変わりしていく現実の「ふるさと」は、胸の内で次第に増幅する輝きとは乖離した「変貌」を遂げていく。

憧憬の“しるし”としての「ふるさと」は、いわば心の拠り所としていつまでも生き続けるが、現存する「ふるさと」は、個人の離愁などとはお構いなしに変わり続け、再び帰郷した者を見知らぬ「異郷人」として迎え入れることとなる。
「ふるさと」は、時に「甘い感傷」さえも遮る。


哲学者レヴィナスやバタイユの思想を用いつつ、混沌とした現代の状況を鮮やかに切り取る思想家西谷修は、『戦争論』所収の論稿「ふるさと、またはソラリスの海」に於いて、次のように述べている。

……「ふるさと」は、そこに立ち返る者にとって異郷であり、そこには安らぎや幸福を期待する自分を突き放す何かがある。……二重の「ふるさと」、内面の主観的「ふるさと」と、外的現実として指定されている「ふるさと」とは、「私」の過去の「ふるさと」の幻影と残滓でしかない。そして「私のふるさと」は端的に存在しないのだ。なぜならそれは、失われたものとして生まれたのだから。


西谷修の云う“二重の「ふるさと」”とは、まず「自分がそこを後にし、離れてしまった、にもかかわらずそれ自身で存在し続ける実在の地」と、「異郷の地での経験を通して変容してゆく自分の奥深くに、成長を絶たれた切り株のようにして以前のままに残存する(内なるふるさと)」を指す。我々が想い描く「ふるさと」とは、大概は後者の「もはや自力では成長せず、別れた時のまま」のふるさとであろう。

さらに引用すれば、

……「ふるさと」は、それが失われたとき初めて、二重の対象(内的、外的)をもって言葉となる。「ふるさと」が、ある親密な一体性の感情と結びついているとしても、この二重の「ふるさと」はすでに分裂であり、分裂の片方であることによって、すでにそれ自身の喪失の代償でしかないのだ。


そして、「美しく優しく懐かしいもの」として心の内に在り続ける「ふるさと」を、西谷修は「想像の、あるいは鏡像(あるいは共同主観)の内にしかないナルシスの思い出にすぎない」と、極めて冷徹に考察する。

「ふるさと」の情景を思い描く時、そこに時間の流れはない。
「失われて生まれた<ふるさと>」は、既に自分の内にしか視ることができず、二度と「帰る」ことのできない地である。それだけになお、想いは一層募るのだろう。


そうした個人の儚き想いが結晶化した「ふるさと」。
その深い思索の途上を、踏み躙り、歪めようと謀る存在に視点を移そう。

卑劣為政者の「都合の良い」ように利用され続け、愚弄され続ける北海道夕張市の如き「見捨てられた」故郷を持つ人々にとっては、「実在の地」ばかりでなく、各々の儚い郷愁さえも否応もなく「殺されて」いく。在日米軍再編や自衛軍には湯水の如く血税を浪費するが、「見捨てられた」町で困窮する老人や子どもに対してはビタ一文も出さないのが、此の「麗しい」国家なのである。

西谷修の表現に倣えば、「失われて生まれた<ふるさと>」を再び喪失する、ということだ。そこに帰れば何時でも優しく温かく迎え入れてくれるはずの「ふるさと」は、汚辱と怒りともに失われていく。

無論、此の国の現状を云えば、或る地域に限定されるものではない。大袈裟に云えば、ニッポン全体が「ふるさと」喪失の危機にあるともいえる。

「想像」する能力さえ欠如した一部の卑しい者どもは、人々の心の支えともなる「ふるさと」を打ち壊し、子どもから老人まで<美しい国>という「妄想/幻想」が生み出した極めて抽象的且つ刹那的な低俗概念へと集束させることに血眼となっている。
個々人が心の中で創出する「ふるさと」へと執着することは、「国家」としての統一した思想統制を目論む為政者にとっては、「邪魔」なモノでしかなく、「ふるさと」=「美しい国ニッポン」でなくては意味が無いのである。

つまり、夕張市の如く破綻していく「ふるさと」は、此の国の愚劣為政者にとって誠に都合が良い事態といえよう。個人的想念に過ぎない「ふるさと」という何ひとつ「生産性の無い」土地に執着させるよりも、其の身ひとつが「戦(兵)力」となる「国家」「ニッポン」への帰属意識を高めることが重要なのだから。個々人に「ふるさと」を想起させるのは、「選挙」の時だけで充分なのである。そして「愛するふるさと」を守ることを確約したことで政治屋を名乗ることが叶った詐欺師どもは、平然と裏切り行為を行ない、地元民を国家へと従属させるべくあらゆる浅知恵を働かせるのである。


以下の拙文は、本稿のテーマに通ずるものなので、再掲しておきたい。

……「発展」とは名ばかりの無機質な全国均一の都市化現象。さらには、己ら自身が破壊し尽くした地上に「ニセモノ」の自然を造り出し、無意味なオブジェを乱立させ、鬱陶しい「郷愁」を強要する全国均一の観光地化現象。観光する側は、すぐ傍に実存する絶滅寸前の「野生」「自然」には眼もくれず、表面だけ「キレイ」になぞっただけの虚飾の「伝統」にアイデンティティを求め、束の間の癒しを得てのち、外国産の土産とともに帰途につく。

現代、新しく創造するものより何倍もの速さで我々は「何か」を失っていく。そして、或るものは過分な虚飾を施されて「伝統」という新たな名を付けられて、不気味な姿を忽然と現す。

得てして、それらは「国家」「ニッポン」を身にまとい、我々の心象風景さえも侵食し陵辱していくのである。
「美しい故郷の自然」は、「守るべきニッポンの地」へと変貌し、
「懐かしい故郷のうた」は、「誇るべきニッポンの歌」へと変移し、
「愛する故郷の人々」は、「愛すべきニッポン国民」へと変質していく。

愛しい「情景」さえも、甘ったるく卑しい「ニセモノ」に変幻しつつあるという現実。そして、或の侵略戦争がもたらした未曾有の惨禍や戦争犯罪人さえ「美しく」「尊い」モノとして幻惑されていく人間が多数存在するという事実。あたかも我々が延々と「共有」していたかの如き、ニッポンの実体無き形骸「伝統」の垂れ流し。個々人の「郷愁」を、ニッポン古来の「伝統」へと差し替えていくという詐術。

「愛国心」までは、ほんの一歩である。
【失われていく「情景」の中で】



……状況は更に悪化している。

我々は心の中にある「ふるさと」さえも、守り抜かねばならないらしい。


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託された夢とともに
2006年12月25日『Under the Sun』にコラムとして掲載。



此の秋に初めて授かった子どもをあやしながら、相棒が先日読んだ或る本の話を私に聞かせてくれた。

……こんなお話しだった。
子どもたちは、この世界に誕生する前は、天上にいる神様の傍にいて、いつしか優しいパパとママの間に産まれたいと望み、其の時をじっと待っているらしいの。

赤ちゃんたちは、それぞれ自分が希望する両親を思い描き、愛するパパとママに出逢う瞬間を夢見ている。赤ん坊は、もうずっと前から、両親の様子を見ていたのね。

……やがて、赤ん坊は神様にお願いをする。
あの家に住むパパとママの子どもになりたい、と。神様は、その願いを叶え、子どものことを心から愛してくれそうなパパとママのところに送り届ける。そして赤ん坊の未来を、地上にいる大人二人に託す。だから、もし同時に二人の赤ん坊が同じパパとママを望んだら、其の時は双子となって生まれてくるらしいの。

彼女は、まるで天使のように微笑む子どもに向かってささやく。
……私たちの赤ちゃんは、私たちを望んでくれたのね。

私は、子どもの澄んだ瞳を見つめ、想った。
たとえ、それがささやかな寓話であろうとも、彼女の語った子どもの想いは、真実なのかもしれないな、と。

腕に抱いた赤ん坊に、相棒が続けて云った言葉、
……私たちを選んでくれて、ありがとう。
その母親としての、彼女の深い想いも、また……。


……ひたすらに泣き、ひたすらにミルクを飲み、ひたすらに澄んだ瞳を輝かせる。子どもの笑顔を視るだけで、すべてが報われる。そんな日々を送っている。自らが父親となり、あらためて思うことは、私自身も「守られて生きてきたのだ」ということだった。

たとえ幾度と無く挫折し、自らの人生が「無駄」のように思える時があっても、己は「望まれ」「守られ」て生きてきた、という事実を否定することなど出来はしない。自分一人の「力」で生きてきた……それは驕りであり、薄汚い欺瞞であると、自省しながら。

人は、等しく望まれて生まれてくるのだ、と信じたい。
家族との愛情をともに育みながら生き、限られた人生の中で幾つもの喜びと哀しみを経て成長し、幾つもの不条理な別れを経験して惑い苦しみ、時が来ればまた天上へと帰ってゆく。

愛情は、子から子へと受け継がれていく。
そして、「生きる」こと、それを否定するものなど何も無いのだ、と信じたい。


だが、すべからく守られるべき子どもたちの未来は、決して「等しく」明るいものではない。

時に……
幼き子の命は国家や殺人者によって奪われ、
親と子は憎しみ合った果てに互いを殺し、
己の実存に耐え切れない子どもは、その存在自体を自ら消し去っていく。

さらには、
此の世に誕生して間もなく、愛すべき父親や母親に虐待され、身体よりも先ず「心」そのものが殺されていく子どもたちの地獄。

……いったい「誰」が望んだというのだろう。
「望まれ」「守られて」生きていくはずだった子どもたちの未来を、「誰」が殺すのか。そして「誰」にそんな権利があるというのか。


或る卑しい政治屋が顔を歪ませて、子どもたちに云い放った。
……君たちは決して一人ではない。

他者との関わりに恐怖し、孤独へと逃れることが唯一の救いである子どもの心など、一切理解することができない典型的な戯言であろう。「いじめ」に苦しむ子供にとって、此れ以上「余計」な人間はいらないというのに。……それにしても、何故、「私が守る」と云えないのか。何故、「私は味方である」といえないのか。見え透いた何ひとつ効果のない題目を唱えようともカルト信者でないかぎり「魂」でさえも救えないだろう。

「孤独」の裡にいる人間の苦悩/苦闘も視えず、幻想の共同体を「精神」の拠り所として偽装し、「国民」という名の従属的「教育」を施すことによって、半ば暴力的に「国家」へと集束させてゆく……つまり、卑劣政治屋の云う「一人ではない」とは、一人の人間として互いに「生きる尊厳」を尊重し合う社会の在り方を指すものでは無く、「国家」に従属する「国民」の一人として「其の他大勢の中に含まれる安心感を持て」という意味であろう。要は「死ぬときも一緒」という「理想」の国民国家だ。

此の愚劣なる男の意図とは、子どもたちの「弱さ」と大人の「脆弱」ぶりに付け入り、国家や元首/イデオロギーや国歌国旗/宗教等が表象する実体無き「国体」への忠義を求めるもの以外の何ものでもない。

さらに、その果てにある「戦争」に絡めて、ひとりの人間の「生きる尊厳」をどのように捉えているかを問えば、より判り易い。つまり、現与党による「教育基本法改正/憲法改正」が目論む「大義」が、国家に殉ずる「愛国者」の再生産に他ならないのであれば、先の侵略戦争に於いて「国家に従属して生きるとは何だったのか」と問い直すこととも同義となろう。

例えば、クリント・イーストウッド監督による『硫黄島からの手紙』が見事に描いていたように、「天皇陛下バンザイ」を叫んでのち、家族の写真を握り締めたまま溢れる涙とともに犬死にしていく人間の無残/無念さは、「国家」や「天皇」「靖国」などが微塵も癒すシロモノではなく、更には戦争が「生きる」ことの否定の上にしか成り立たたず、「生きる」ことよりも、「死ぬ」ことを「至高の価値」とする狂った国家の有り様を白日のもとに曝すものでしかない。

人間の生き方/生死/死後までを「国家」が左右できると盲信する愚劣為政者や御用学者どもは、手榴弾を爆発させて自死した人間の切れ切れとなった肉の固まりにさえ、「美しい」と感じる「感性」の持ち主なのであろう。或の戦争を「いまだに」肯定する卑しい人間が、「国家」や「教育の再生」を平然と騙れるほどに、此の国は「平和」になったらしい。それらを自省も出来ずに、「ひとさま」の子どもの「教育」をアレコレとほざく輩/政府を「信用」することなど、土台無理な話である。


中国の想像上の動物である「獏」は、悪質なものになると夢ごと精神(または魂)を吸い取り、人間を精神的に崩壊させるらしいが、此の地上には子どもたちが夢見ることさえも、極めて利己的な「大人」の甘えによって打ち壊し、子どもたちの「夢」を食い荒らす「獏」ならぬ「バカ」が跋扈し、「生きる」ことそのものさえ唾棄しているのが現状である。


……余談が過ぎた。
子どもの「夢」について綴るつもりが、次第に其の「夢」を打ち壊す者に言及していく、私自身の思考回路が哀しい。

いつの時代も、真っ先に犠牲となるのは子どもたちである。だからこそ等しく望まれて生まれくる子どもの未来は、我々一人一人が守らなければならない。


傍らで、穏やかに眠る我が子を見つめ、その夢を、自由を、守ることを心に誓う。
託された「夢」は、私自身の「夢」ともなる。
いつか「生まれてきてよかった」と、子どもが心から云えるその日を信じて、歩み続けていきたい。

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