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帰りなん、いざ…。

旅立つ朝はいつも、初冬だった。

ぴんと張りつめた早朝の、或る微妙なバランスで交差する
清涼と寂寥が私の身体を覆い、今しがた身を震わせた晩秋の
過ぎゆく名残りに孤独という素描を残したまま、
何為す訳でもなくその冬は訪れた。

朽ち果てたブロック塀の隙間に暁を浴びてうっすらと瞬く
霜の降りた雑草と、腐蝕した木製の長椅子に腰掛けた私の
眼前で遊ぶ椋鳥の狂った乱舞。

陽が射しかけたとはいえ、薄い霧の波が彼方の線路から
此の寂れた駅まで続き、その揺らぐ霧の上を掠めて私の思惟が
錯綜する。

此処は、帰る処ではない。

決して、帰るべきではなかったのだ。

だが、私は此処にいる。

そして、再び旅立とうとしている。


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十年前、私はこの地を捨てた。

己に流れるけがれた血を浄化する為に。


嘗ての封建時代より延々と連なる大地主として、恵まれた森林群を糧に財貨を蓄えた私の祖先は、私利を図るためにはためらうことなく悪銭を使い、事業を拡げていった。

そして先代に至って渇望していた代議士をようやく血縁から出して行政を牛耳ると、更に腐敗の度を深め、私腹を肥やしていった。
金まみれで築き上げた名誉村民としての扱いを嬉々として受け継ぐ家。

無論、私の親父も例外ではない。
彼が当主を継ぐに至って、戦後の高度経済成長期の波にのった道路拡張事業に真っ先に飛びつき、既に手遅れとなっていた自然破壊を更に増進させた。


愚行は膨張する。

公共事業があるピークを超えた後、禿山を潰してゴルフ場を誘致し、豊かな自然の中の憩いを謳い文句に、壮大なレジャー施設を造り、村の観光地化を図った。

だが、観光事業に狩り出されていく地元民には、元来密集地域で生きてきた彼らの排他的な気質がそれらに合うはずがなく、また、無謀な森林伐採が繰り返された末の景観は無残なものとなり、一級河川もゴルフ場から投棄された農薬のために汚染され、私の愛するこの地には、既に限られた未来しか残されていなかった。


私は予見していた。
いずれ、崩壊の時はくる。


親父の傲慢なまでの自信。飽くなき金への執着。
そして、其の血を己も継いでいるのだという嫌悪と憎悪。

事業をめぐり幾度も衝突を繰り返していた私たちの関係は、最後に噴出した罵声と暴力の果てに、親父が私に勘当を言い渡したところで、終わった。


白き結晶の降り積もる朝、凝固した怒りの塊だけを胸に、私はひとり此の駅にいた。

逃げる。
そう、これは完全な逃避だ。

愛する故郷を守りたい。傷つき、疲れ、助けを呼ぶこの地の叫びに、心が砕けそうだった。

だが、私は破壊する側のまさに当事者である。
例え、自分の手を汚していないとはいえ、
いったい誰に弁明ができるだろう。

今は唯、逃れ、少しでも己の血を清めたい。
ひたすら耐え、懺悔し、悶え苦しんだ末に、結局残されていたのは、卑劣な傍観者の途だった。


私は故郷を捨て、列車に乗った。

さよならを言う相手などないままに。


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十年後、母親が電話で、こう告げた。
今朝、親父が死んだ、と。

いや、正確には、私の嘗ての父親が。


あの村全体を巻き込んだ親父の壮大な誤算の結末は、私が故郷を捨てたすぐ後に、家の抱えた巨大な借金の残骸という形で終焉した。

観光関連のグループ企業は壊滅し、木材伐採の事業は縮小を迫られていた。村役人の取り巻きも姿を消した。親父を継ぐために私の姉と養子縁組されていた村の有力者の息子は、目当ての地位と金が破綻したと悟ると、さっさと逃げ出していた。


母親は通夜の席で、私に云った。

親父は、最後まで私を罵倒していたと。

私の名前を叫びながら、怒りながら、
血を撒き散らして死んでいった、と。
私は何も云えなかった。

……私に何が云えようか。


母親は疲れたように笑みを見せた。
やせ細り、すっかり白髪になった母親の笑顔は、それでもあの頃のままだった。

彼女は私にこのまま残ってくれとは云わなかった。

私は懐疑していた。
親父亡きいま、膨大な借金と先の見えた事業、村社会での負の遺産、そして茫然自失の姉と子どもを抱え、いくら気丈な彼女とはいえ、家を立て直すことは無理だ。
だから、私に帰ってきて欲しいと云うのではないかと。


彼女はいつもの笑みを浮かべて私を見送った。

私と彼女の縁は切れている。
だが、しかし……。


葬式が終わったあと、私は急き立てられるように家から追い出された。
私に、帰るべき、場所は、ない。


プラットホームは既に霧がはれ、椋鳥の囀りも忙しくなった。

日に数度、鈍行列車しか止まらぬ此の駅で唯ひとり、
私は遠く連なる山の曲線と、靄に霞む低い家並みを見ていた。

深い山峡に沿って続く渓流の河岸に集落は続いていた。
懐かしさよりも、深い哀しみが心を覆った。

此処は、今でも私の故郷なのか。

赤い甍屋根。
繊維工場から立ちのぼる煙り。封鎖されたペンション。

彼方。
藍色から浅黄色、緋色から白群へと変化をみせる天空のプリズム。
消えゆく星々の吐息。朝まだき。

風が出てきた。

澄み切った空を舞う猛禽が、
列車の到着を告げるかのように鋭く鳴いた。


やがて鮮やかに彩色された二車両編成の列車が到着し、
溜め息をつくかのように扉を開けた。

  私は立ち上がった。


  突然、私の中で、何かが、揺れた。


  必ず、此処に帰ってくる。だが、今は。

  さようなら。
       さようなら、故郷。


【 Fin 】


『 帰りなん、いざ…。』 霜月 桔梗

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