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残 氓
「生きる」ことに絶望して自らを殺す行為は、「他人(※当人以外の意)を道連れにしない」ことに於いてのみ、「自由」である。無論、最期に残る選択肢としての「自由」という意味であり、厳密に述べれば当人の死後にも「生きざるを得ない」家族らの感情や社会的環境を考えれば、充分「他人を道連れにする」結果となることには違いない。

極論すれば奪われる生命は当人のみである、という無残なる現実のほかに一切の「救い」はなく、其の「救い」さえも対象者が「無」と化すことによって、必然的に「救い」の意味は消滅する。「自死」とは、「救い」の拒否を前提とする救済……言い換えれば、死にゆく間際にしか去来しない刹那的「解放」を得ることのみを目的とした、自滅である。


だが、其の唯一の「救い/解放」さえも脆弱なる自己憐憫に埋没したままに、独りで死ぬことさえできない者がいる。「他者の生命を奪うこと」を自ら死ぬことの「理由(動機)付け」とし、錯乱/狂気の只中で浴びる返り血に高揚し、自らが手を下した他人の死によって得られるトランス状態において、捩じれ切った暗澹たる「救い/解放」に到る。つまりは総じて、結果的には自死を伴なわない殺人者として鬼畜と化し、自壊する其の時まで第二・第三の「自殺のための他殺」を繰り返す。

鬱屈したルサンチマンに起因する「連続殺人〜殺人者の自害」に視られる「救い」の無さは、ただ虚無的に虚空を彷徨う被害者並びに家族らの嘆きのみしか、人間の業を告発する手立てが無いという断絶感/絶望感にある。


問い直す「意味」も成り立たず、
懺悔する「言葉」も見当たらず、
「死」は、すべてを道連れにするのだ。


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皆様、今年もよろしく
あけましておめでとうございます。  お年玉をもらえるわけでもなし、特に正月が嬉しい年でもなくなったが、それでも年が改まると人並みに「今年は……」などと思ってみたりする。むろん大したことなどできるわけはないが、見果てぬ夢に向けて半歩でも近づきたい。
| 華氏451度 | 2008/01/07 12:55 AM |