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2008年10月30日『Under the Sun』にコラムとして掲載。



「国民のために……」と厚顔無恥な政治屋どもは云う。

猪首からぶらさげた腐蝕の「免罪符」を裏返せば、穢れた血で書き殴られた文字が、こう読めるだろう。
自民党ならば「私腹のために」、公明党ならば「名誉会長のために」。
麻生太郎ならば「豪遊のために」、安倍晋三ならば「怨霊/岸信介のために」、そして小泉純一郎なら「ブッシュと私の馬鹿息子二人のために」。
こんな奴らが平然とのさばり、「選挙」目当ての愚劣パフォーマンスに於いてのみ「下々」の顔を見下ろし、ドス黒い腹の中から腐臭漂う嘘八百を搾り出し、醜く歪んだ口先から不快な嗄れ声で雑音を撒き散らす。

森喜朗という真正の阿呆が「親や子供を殺すようなことが珍しくもない世の中になったのはなぜか。やはり戦後の日教組教育の大きな過ちだ」などと不遜にものたまい、長勢甚遠/鳩山邦夫/保岡興治/森英介という無能どもが「粛々」と人を殺し続け、薄汚い自己顕示欲で膨れ上がったレイシスト首相が異次元「秋葉原」で戯言を垂れ流す足元を、自らは選挙権も無いのに国会議員に成り上がったド素人詐欺師丸川珠代が下劣な笑みを浮かべて提灯で照らす。

此の無残なる「素晴らしき世界」。

私は耳を澄ます。生き生きとした人間の声を聞くために。
そして……或る女性が語りかける。
「今、暗闇の中にいる人や悩んでいる人も、どうか夢を持って一日を過ごしてください」と。

マラソン選手、高橋尚子の言葉である。
先日(2008年10月28日)、現役引退を表明した彼女は、その胸中を次のように表現した。
「……今は過ぎ去った台風のあとの、さわやかな風が吹いている感じ」
真の意味での「勇気」「癒し」を人々に与えることのできる人間像とは、彼女のような存在をいうのであろう。「さわやかな風」という心象に素直に共感できるのは、彼女自身が「走る」ことを通して多くの人々に同様の「風」を感じさせてくれたからだろう。

私はマラソンを含めスポーツ全般について特別な関心は持たないし、高橋尚子の熱心なファンという訳でもない。けれども、三年前の「東京国際女子マラソン」(2005年11月20日)に於いて彼女がもたらしてくれた爽やかな感動は、今でも鮮明に覚えている。過度の重圧の中で、しばらく満足の出来る結果を残せなかった彼女は、この日見事に優勝を果たして「復活」を遂げた。

レース直後の高揚した雰囲気の下、応援してくれた人々に向かって彼女が語った言葉。柄にもなく私は、彼女の「走る姿」以上に、心を揺り動かされたのだった。

「……人の温かさや力を貸してもらったという意味で、すごくうれしさを感じられた二年間でした。一度は陸上を止めようと思った時も、夢を持つことで一日一日を充実して過ごせました……」

そして、笑顔でこう続けた。

「……陸上に関係なく、今、暗闇の中にいる人や悩んでいる人も、どうか夢を持って一日を過ごしてください。一日だけの目標でも三年後の目標でも、何でも目標を持つことで、一日が充実すると思います。小学生や中学生はもちろん、三十代そして、中高年の皆さんにも、二十四時間という時間は平等に与えられたチャンスの時間です。二度と来ない、この一日の時間を精一杯充実した時間にしてください。今日は皆さんのおかげで私はとてもいい日になりました……」

繰り返すが、二時間以上を走り続けた直後に語った言葉である。高橋尚子の発言であればこそ輝きを放つコメントであり、俗な人間に真似が出来るはずもない。

決して己の功績を驕り高ぶることなく、まず支えてくれた人々に感謝の思いを伝え、自分のように脚光を浴びることが無くても日々懸命に「生き続ける」人々に対して、逆に応援のメッセージを捧げる。彼女は、自らを客観視することを常に心掛けていたのであろう。自分の言動ひとつひとつが報道されて少なからず影響を与えることを自覚し、「綺麗事」に終わらない「生きた」感情表現を試みた。堂々と「プロ」を名乗るに相応しい稀有なスポーツマンといえる。

だからこそ、
優れたマラソン選手のひとりである野口みずきが高橋尚子の引退に際して語った「(高橋尚子さんは)走る心がきれい」という表現に、私はすんなりと納得ができた。

無論、穿った見方をすれば、オリンピックに象徴される薄汚い商業主義と「マラソン界」は決して無縁ではないだろうし、高橋尚子自身を取巻く環境が「綺麗事」ですべて片付くものばかりでないのも解っている。ただ、現在の暗鬱なる社会状況下で、ひときわ眩い光を放ち続けた彼女の「陸上人生」に想いを馳せ、失われつつあった「夢」や「希望」を多くの人々に再び甦せてくれたという、その大いなる意義については、誰であれ認めざるをえないだろう。


彼女が走り終えた後に、常に笑顔で語る言葉には、気取った洒落も、辞書で引いた人生訓もありはしない。胸元に光るのは、嘗て自らの足で勝ち取った金色のメダル。その裏面に刻まれているのは、人々との交流の中で培ってきた自信と誇り。それらが、共に「生きている」ことを実感できる次のような言葉を生み出すのである。

「みなさんの声援が私の背中を押してくれました」

彼女のように駆け抜けることは無理かもしれない。けれど一歩一歩、歩み続けることはできる。
……ありがとう、高橋尚子さん。
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