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奈落の底に横たわるもの 【其の壱】



いったい、此れはいつの時代の雑誌なのだろうか。
目次に刷り込まれた論考のタイトルから幾つか挙げてみる。

「アメリカ型改革から〈桂離宮の精神〉を守れ」佐伯啓思
「戦後的迷妄を打破する「維新」を幻想せよ」西部邁
「皇室と富士山こそ神道文化の要である」平川祐弘

驚くべきことに、上記の如き「主張」が「四十年にわたる思索と討論の到達点、そして未来の日本に宛てたメッセージ」だというのだ。しかも、特集の見出しには「日本への遺書」とある。

どうやら「休刊」(実質は廃刊であろう)に納得できずに、首を括られるよりも前に「サムライ」として自害したつもりなのであろう。冒頭から卑怯者/石原慎太郎の「実力相応の主張なくば、国は立ち行くまい」という駄文に始まり、「保守派をも蝕む〈東京裁判遵守〉という妖怪」渡部昇一(此の男自体が狂気染みたバケモノである)で締め括るという滑稽ぶり。さらには単なるテレビのコメンテーター/電波芸者に成り下がった宮崎哲弥(一企業のツマラナイCMタレントとなった時点で私は見切りをつけた)が凡庸なる保守論客どもの遊び相手を務め、文藝春秋社に媚を売って身銭を稼いでいる。

……『諸君!』(文藝春秋)よ、
四十年もの歳月を経て、辿り着いた先がコレなのか?


「評価」できる点をひとつだけ挙げるとするなら、保守/右翼系のメディアに掲載される「論考」の殆んどは、書き手が誰であろうと大して差の無い薄っぺらい内容であるため、見出しさえ一瞥すれば論旨を把握できるということだろうか。「保守/右派言論人」の言説/語彙が、より学術的で難解な左派の言論と比して極めて貧困であることは、書店の本棚に大量に並んだ塵本をパラパラと捲れば明確なのだが、逆に素人同然の平易な文章ほど煽動に適していることを実証し、読まれない左派言論よりも、大量に印刷されてビジネス書の隣で「日本を守れ!」と絶叫する保守の本が手に取られる確率も高くなるため、幼稚な主張を単純に表す言葉/記号が蔓延ることとなる。

『諸君!』に登場する面々……
岡崎久彦/佐々淳行/曾野綾子/深田祐介/櫻井よしこ/西尾幹二/佐伯啓思等々、名前を伏せて読んだとしても誰が書いたものか判別することすら出来ないだろう。しかも皮肉にも「美しい」日本語を綴る作家など「保守/右派言論人」の中に見出すことさえ難しいのであるから、些少な文体の違いなど区別の対象とはならない。

それにしても一時、出鱈目/継ぎ接ぎだらけの作文で「話題」となった田母神俊雄という頓馬な男を巡る右派言論の貧しさは、相当酷いものであった。左派から殆んど相手にされず嘲笑の対象として一瞬にして相手にされなくなった田母神だが、いまだに保守層に受け入れられている要因とは、「防衛省元航空幕僚長」という尊大なる肩書きを裏打ちする時代錯誤/錯乱した思考を全開にし、停滞した社会状況を象徴する極めて空虚/毒にも薬にもならない保守/右翼の記号を再生産/流通させて、「芸の無い芸人/一発屋」(本人には当然その自覚は無い)として保守言論のトップに躍り出たからであり、そのハダカ踊りに嫉妬した勘違い保守/右翼の輩は我先にと田母神のおこぼれに与ろうとしているのも醜い話である。根底にある大衆のニヒリズムを掴みきれないままに、時流に乗ろうとしても滑り落ちていくだけの「保守/右派言論人」の節操の無さには改めて呆れるほかない。


無知なる読者を相手に「現代のサヨク的なるモノ」を血眼になって掘り起こし、アナクロニズム全開の「オピニオン誌」に集う書き手は、絶滅した「新左翼」から学んだ威勢のよいアジテーションをメディアを通して発信しているが、大衆受けの良くない「右翼」ではなく「保守」を名乗り、多少の過激さを売りにすれば馬鹿な政治屋や大企業の下請けメディアは擦り寄ってくるのだから安泰である。資本主義、米国至上主義(反米など虚勢に過ぎない)、弱肉強食/格差社会を擁護しつつ、政治屋/官僚/一部大企業の利権を守り己の懐に薄汚いカネを捻じ込む。
何も、自らが先頭に立って実践/行動する必要は無い。「右傾化」した大衆が模索し渇望する自慰的アイデンティティに対しては、侵略戦争の有効なプロパガンダとして実証済みの「日本民族の優秀性」「中国・朝鮮蔑視」を組み込んで提供すれば、右派メディアを読む/見る大衆は満足するのである。

当然のこと、自称「保守/右派言論人」は一部の書き手を除き、既に従来の「左翼」……つまりは社会変革/革命を現実のものとする「左翼」が此の国に立ち現れる筈が無いことなど解っている。だが、「左翼」の存在無くして成り立たないのが「右翼/保守」であるから、永遠の敵としての「左翼」という存在を創り出すべく、もはや幻想に過ぎないマルクス主義や進歩主義の「危うさ」を手垢の付いた泥粘土を捏ねくり回して形作り、自らの存在意義を大衆とメディアに認識させるために涙ぐましい努力をしているのである。
我らの実存(つまりは生活費を稼ぐネタ)を「保障」するために必要不可欠な「左翼」は常に生殺しにせねばならない、と。

そして、息も絶え絶えの「左翼」に代わる新たな「敵」として、表舞台へと登場した「テロリスト」や「北朝鮮」を心から歓迎し「愛する」彼らが、潔く「遺書」など書いて死に絶えていく筈もないのである。




【この項続く】

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