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ナルシスの華
『日本語はなぜ美しいのか』(黒川伊保子/集英社新書)というタイトルを一瞥して「嗚呼、また保守の慰撫本か」と書店で独り毒づく私自身は、逆に相当毒されてきたのかもしれない。

「感性アナリスト」という訳の分からない肩書きが失笑を誘う著者紹介によれば、「コンピューターメーカーでAI(人工知能)開発に携わり、脳とことばを研究」したと得意満面だが、実力/才能の無い者ほど出生や経歴を飾り立てたがるものであるから、読む価値が有るか無いかはプロフィールに目を通せば判断が出来る。
当然、この本は「読む価値ゼロ」なのだが、大量に出版され続けているクダラナイ右派の最低レベルの亜流として、立ち読み/流し読みをした上での「感想」を述べておきたい。


「特殊性」を希少で価値のあるモノとして置き換え、変幻自在のこじつけ/屁理屈/時には改竄によって、世界に類稀なる「美しさ」「崇高さ」「優秀さ」を持つ、と短絡的に結論付けるところは保守派の幼稚な論理と同じであり、日本独特の情緒や風土といった陳腐な記号を使えば、全ては説明が付くと能天気に考えている点も、ほぼ共通している。

だが、少し読み進めば解るのだが、この著者には大それた愛国心の啓発本を書くつもりなど無かったらしい。
否、それを意図した痕跡はあるのだが、如何せん著者には肝心の素養がそなわっていないのである。時に左派の戦意を喪失させるほどの狂信的デマゴギーを全開にして「神国日本を愛せ!!」と錯乱/絶叫する保守/右翼ほどの迫力が出せないのであれば、そもそもが根拠の無い主観に過ぎない「日本語は美しい」という命題を立証出来るはずもない。

例えば、次のような「考察」を読んで、心から感銘を受ける読者がどれだけいるのだろうか。

ただ、語感だけでいっても、「Good morning」は「おはよう」に比べると、暗く物憂げなのは事実だ。英語圏の人たちの朝は、日本人の朝より、少し静かに始まるようである。考えてみれば、このことばを生んだ英国は日本よりずっと緯度が高いので、日本のように、年中、朝の光が眩しいわけではない。冬などは、子どもたちの登校時間になってもまだ暗い。
実は、ことばは、このように風土とも無関係じゃないのである。眩しい朝を迎えることの多い日本人は、朝にアサASaということばを与えた。喉も口も開けるAに、舌の上に息をすべらせて口元に風を作るSの組合せ。まさに、爽やかな開放感のことばである。オハヨウも、ハの開放感が目立つ、弾むような挨拶語である。
黎明の中や、穏やかな陽光の中で一日を始める緯度の高い英国に住む人たちは、くぐもった発音の「Good morning」で挨拶をし合う。いたわり合いつつ、徐々に活動を開始するイメージだ。
もちろん、「Good morning」は、その組成から、語感ではなく、意味から創生されたことばであることは明確である。しかし、長きにわたって英国人が、このことばを朝の挨拶語に使ってきたことには深い意味がある。英国の人々は無意識に、「Good morning」の、鼻腔に響く、くぐもった優しさが英国の朝に似合うと判断したのであろう。


……全てが、この調子である。

この本では、ただ単に、母国語の「素晴らしさ」を思いつきで「分析」し、他国の言語と都合よく比較して、此の国の言葉(要は、日本人)がいかに特殊で「美しい」のかを、デタラメ同然の似非科学を延々と用いて、どれほど著者の自説が馬鹿げたものかを明らかにしてくれるのみである。

己の確たる思想も無いのに、恋愛と同等の「感情/気分」で言語や社会を語られても、説得力があるはずがない。
スカスカの改行だらけ。情緒など一切感じさせない口語体多用の文章で「日本語の美しさ」を綴っているのは何かの皮肉なのだろうか(著者自身は自らの文章を「美しい」と思っているらしが)。

黒川伊保子が著した他の本(タイトルのみで充分)を見れば解る通り、「脳や言語の研究」を経た上での著作活動という大風呂敷を拡げた先にあるのは、たかだかド素人向けの「恋愛ハウツー本」止まりである。
今までの黒川にとって、占いやオカルトが好きな連中以外には見向きもされない「研究成果」が主たる「発表」であったのだから、この著作に懸ける意気込みはさぞかし凄かったのだろう……という読者の期待(あればの話だが)は、いとも簡単に裏切られることとなる。

同書の宣伝文句から拾えば、
「「発音体感」つまり言葉の語感の大切さに着目した画期的な日本語論である。日本語はなぜ美しいのか。実は、母音を主体に音声認識する言語は、世界的にみても日本語とポリネシア語のみであり、その他の欧米及びアジア諸語は、すべて子音主体で音声を認識している。日本語は希有な言語なのである。本書は、この日本語の特殊性をふまえて、情緒の形成という観点から、ある個体の脳が最初に獲得する言語である母語の重要性と早期英語教育の危険性を説き、風土と言語の関わりから言葉の本質に迫っ」たらしい。

著者よりも、この「見事」なPR文を書いた編集者の方に才能を感じてしまうぐらいだ。
全ての価値基準に、書き手の勝手な思い込みと好き嫌いを適用し、「早期英語教育の危険性」というもっともらしいフレーズも、単に著者のアメリカ嫌いに起因するのだから恐れ入る。つまりは、似非保守/自称右翼とさして変わらない価値判断のモノサシと同じなのである。
黒川伊保子は、どうやら日本語が失われていくことに危機感を覚えているらしいのだが、その根拠がさっぱり理解出来ないというのも、「伝統や文化を守れ」と叫ぶ保守/右翼の中途半端で自己完結的なルサンチマンと酷似している。


究極は「結び」の章だ。
何の脈絡も無くオスカー・ワイルドの童話『幸福の王子』に言及し、驚愕の考察を行なっているのだが、見事なまでに黒川伊保子の「限界」を露呈し、論旨は破綻していく。

曰く、「幸福の王子」像は町にとっての「産業資源」であった。自己犠牲の精神(黒川は「ナルシズム」だと断定する)に溺れるよりも、「幸福の王子」自身が見世物としての存在価値をわきまえて、町の人々に観光資源としての活用を促すべきであった、と説くのである。そして眼前の「不幸」だけを救済しただけに過ぎない「幸福の王子」に「欠けていたのは、生きる力」であり、「今日を生き抜く力、すなわち事業力だ」と意味不明な自論を展開する(……もはや『日本語はなぜ美しいのか』という主題など放り投げて、黒川伊保子は自分の「美しい」文才に酔いしれるのである。ナルシストなのは己自身であろう)。
続けて黒川は、『幸福の王子』を「献身と滅びの美学」として本来は読み取るべきだと述べ、即ち「美学」とは「明日を活かす力」であると、誉めているのか貶しているのかさっぱり解らない、どこまでも手前勝手な結論へと導いていく。町の子どもたちは、己の「美学」に殉じた「幸福の王子」を「美しい」と感じ、「明日を生きる力」へと繋がっていくらしいのだが、まるで何処かの保守論壇の「英霊」信仰を下手糞に焼き直したかのような黒川のセンスは退屈極まりない。

……ワイルドが『幸福の王子』で根源的に描き出したのは、人心の欺瞞と虚栄の愚かさであろう。
それを、町の繁栄は「産業資源(幸福の王子像)」の有効活用にあると断言し、資本主義社会でどう生き残るか、などと三流の「ビジネス指南」に結びつける著者の感性は悲惨であり、支離滅裂である。貧困な読解力/構成力/表現力しかないのに、格好付けて「文学」を語り、ことごとく失敗しているのだから、醒めた読み手にはかなりの忍耐力が要求されるだろう。


大上段に「日本語はなぜ美しいのか」と構えてはみたものの、継ぎ接ぎだらけ/偏った知識では優れた考察が生まれるはずが無い。右派論壇から「お声がかかる」のを待っているのかどうかは知らないが、噴飯モノの似非科学で日本/日本語の「美しさ」を讃えても、「阿呆か」の一言で片付けられてしまうのがオチなのである。
この著者に取り巻きがいるのなら、「頼むから、襤褸を出さないように軽い恋愛モノだけを量産してくれ」と助言すべきではないのか。

例え著作の内容が無茶苦茶であろうとも、マスメディアに受けの良い題材をテーマとし、それなりの経歴(仰々しいだけで中身の無い前歴や生い立ち)を持つ書き手であれば、一時的にはテレビや雑誌で紹介される機会を持ち得る。
「有名人」の仲間入りを果たし、みっともない成金として世に出たい書き手であれば、そのチャンスを最大限に活かすことは、テレビの「ワイドショー」番組でシタリ顔で惚けたコメントを繰り出す自称作家や評論家が実証済みである。
それらの「文化人」が辿る歩みは、ほぼ決まっている。能無しタレントと幾つか呆けた対談して「顔」を売り、どうしようもない雑文を雑誌に書き殴り、恋愛や人生相談で偉そうに喋っていれば、処世の第一歩は「成功」したも同じだ。あとは、企業や政党のお抱えタレントとしてニーズに合わせた愛国的で資本主義社会謳歌の言説を垂れ流せば、カネは懐へと転がり込み、肥大化する自己顕示欲は充分に満たされていく。楽なものだ。



では、『日本語はなぜ美しいのか』という保守まがいの本を一行で要約しておこう。
……「日本語(日本)の“美しさ”を誇れる、私の感性こそが“美しい”」

つまりは、その他大勢の右派による自己陶酔型で自慰的な日本讃美論と本質は同じであり、彼らの眼前には常にナルシスの群生が拡がっているのである。



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